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1987年に新潮文庫から刊行された短編集で、1953年から1956年までに発表された作品8編と、1979年、1980年に発表された晩年の作品2編の合計10編を収録している。これは同年にアメリカで刊行された全5巻からなるディックの短編全集「The Collected Stories of Philip K. Dick」を元に、当時本邦未訳であった作品を選んで訳出したもの。編・訳はいずれも浅倉久志である。後に映画化され「マイノリティ・リポート」としてハヤカワ文庫の同名の短編集に再録された「少数報告」を除けば他の短編集とは重複もなく貴重な作品集である。

 

Planet For Transients 訪問者 1953 浅倉久志・訳

全面的な核戦争によって強烈な放射線を浴びた地球。突然変異で地球の生物相はすっかり変わり果て、人間もまた環境の変化に適応してさまざまに進化した種族に分化しつつあった。変異を免れた数少ない人間であるトレントは防護服に身を包み、他の「旧人類」を探して旅を続けている。彼がようやく出会った旧人類は、地球脱出を企てていた。地球は環境に適応して進化を遂げた「新人類」のためのものになり、もはや自分たちの星ではなくなったという旧人類の認識が苦々しくも新鮮。ディックの「進化」感が窺える。
 

Adjustment Team 調整班 1954 浅倉久志・訳

我々の世界を背後から管理している超越者の存在。彼は我々の世界が円滑に運営されるように、日々、区域ごとに「調整」を行っている。ある日、「調整」が行われる区域に属するべきエドが、調整担当者の手違いで出勤間際にセールスマンに捕まり、時間内に対象区域に入り損ねたことから「調整」は大きな危機に直面した。妙に現実的な「神」の存在が微笑ましい。世界を「脱力」し、調整した上で再び「賦活」するという着想が独創的なSFファンタジー。脱力した世界の描写が巧みで、ディックのアイデアが光る作品。
 

Shell Game スパイはだれだ 1954 浅倉久志・訳

長編「アルファ系衛星の氏族たち」の原型と見られる作品。ある星では住人たちが何者かによる攻撃から身を守ろうと必死になっている。敵の襲撃は巧みでその姿を捕捉することはできない。だが、あるとき彼らは、自分たちが地球からフォーマルハウトにある病院に送られるはずだったパラノイア患者であったことを知る。襲撃はすべて彼らの心がでっち上げた妄想だったのだ。だが、その事実をすら信じられず、疑心暗鬼で互いを疑い始めるパラノイア患者たち。冷戦構造を揶揄したとも取れる作品で結末も救いがない。
 

A World Of Talent 超能力世界 1954 浅倉久志・訳

超能力者が主導的な地位を占める未来の世界。ともにプレコグ(予知能力者)であるジュリーとカートは政略的に結婚したが、産まれてきた子供のティムは自分の世界に閉じこもる内向的な子供で「能力」が開花する気配もない。だが、ティムは時間を自由に移動することのできる能力を持っているのだった。ティムが見る「かげぼうし」の正体が明かされるくだりがスリリングだ。超能力者と反能力者という考え方は長編「ユービック」に生かされた。複数のファクターを持ち込んだためストーリーはやや混乱している。
 

Progeny 新世代 1954 浅倉久志・訳

子供が産まれるというニュースにエドは仕事先のプロキシマから地球に帰ってきた。だが、医者は子供を抱かせてもくれない。地球では、新生児はロボットに預けられ、適性に応じた教育を受けるのだ。それが子供「正しい発達」のために必要なのだと言う。9年後、エドは息子ピーターが預けられている研究所に出向き、2時間だけピーターと直接会って話す機会を得る。息子をシリウスへ連れて行くために。だがピーターは…。クリーンな機械化された世界に疎外される人間性を描いた、星新一チックな作品だ。
 

The Turning Wheel 輪廻の車 1954 浅倉久志・訳

東洋的な儒教・仏教道徳が支配している未来世界。中国系と見られる黄色人種が優越人種となっており、技術を持つ白人は劣等人種になっている。スン・ウーはアメリカで力を増しつつある秘密結社の調査のため、デトロイトに向かう。そこでスン・ウーが遭遇したものは、失われた文明を復興させようとする人々の姿だった。だがそれは「宇宙の計画」に反し「輪廻の車」(原文は「Turning Wheel」、「宇宙の動因」とでもいったイメージか)を逆に回す大罪なのだ。正直こういう中途半端な東洋かぶれは勘弁して欲しい。
 

The Minority Report 少数報告 1956 浅倉久志・訳

2002年にスピルバーグ監督で映画化された「マイノリティ・リポート」の原作。予知能力者(プレコグ)が予知した凶悪犯罪を事前に摘発することによって犯罪がゼロになった未来世界の物語。犯罪予防局長のアンダートンは、プレコグが殺人犯として自分の名前を挙げたことを知り愕然とする。3人のプレコグのうち、2人がそう予言しているのだ。自分は殺人を犯すことになるのか。予知を知ることによって未来に干渉することになるパラドクスものだが着想は秀逸。作品としての完成度はともかく、面白いことは間違いない。
 

Pay For The Printer くずれてしまえ 1956 浅倉久志・訳

核戦争によって文明が崩壊した未来の世界。人々は手許に残った品物をプロキシマから来た生物ビルトングにコピーさせることによって生き長らえてきた。ビルトングは衰退した地球を救うために、自らのコピー能力によって人々の求めるままにさまざまなものをコピーし続けてきたのだ。だが、ビルトングは今、勢力を使い果たして死にかけている。彼がコピーしたものも崩壊し始めている。瀕死のビルトングにコピーを強要する人間の身勝手さと、再びものを「作る」ことに目覚める人たちの希望を描く秀作だ。
 

The Exit Door Leads In 出口はどこかへの入口 1979 浅倉久志・訳

住宅セールスマンのバイブルマンがある日、軽食販売ロボットから昼食を買うと、懸賞に当選した。賞品はエジプトにある「大学」への入学。バイブルマンに選択の余地はない。彼は大学への入学を余儀なくされる。かれは「ソクラテス以前の宇宙論と宇宙開闢論」を研究テーマとして与えられるが、研究の過程で彼は極秘技術を知ってしまう。公益のために秘密を公表するか、それとも大学に忠誠を誓うか。しかしそれはバイブルマンの自主性を試すテストだったのだ。晩年の作品だが設定が平板で意図も不明確だ。
 

Frozen Journey 凍った旅 1980 浅倉久志・訳

LR4星系まで10年の宇宙旅行の途中で、冷凍睡眠に入っていた乗客のひとりが半覚醒の状態に陥ってしまう。彼を再び眠らせることはできそうにない。宇宙船はやむなく彼に「感覚刺激」を提供することにする。感覚が遮断されると危険なのだ。だが、彼は宇宙船が提供する「夢」のことごとくを不快な記憶に結びつけてしまう。船は男に、目的のLR4星系に到着した夢を繰り返し見せ続けた。そして10年後、船はようやくLR4星系に到着した。だが、男はまだ自分が夢を見ているのだと信じ続けていた…。成熟した作品だ。



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