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1976年にハヤカワ文庫から刊行された短編集で、1953年から1955年までの初期短編を収録。選、訳はいずれも仁賀克雄によるもの。「ディック幻想短篇集」というサブ・タイトルが付されており、その名の通り、SFというよりはレイ・ブラッドベリを思わせるダーク・ファンタジー的な作品を中心に収録している。特徴のある収録作の選択で価値の高い短編集。現在でも重版され続けているようだ。ハヤカワ文庫ではディックの作品はすべて「SF」シリーズで刊行されているが、本作のみは「NV」シリーズでの刊行。

 

The Little Movement おもちゃの戦争 1952 仁賀克雄・訳

子供のいる家庭に巧みに潜入したおもちゃの兵隊。彼は人間社会に勢力を広げようとするおもちゃの一群の先兵だった。だが彼は、人間たちが見ていない隙に彼らと反目する他のおもちゃたちに挑発され、タンスから転落してその企てはあえなくついえてしまう。僕たちの知らないところで生きて動いているおもちゃたちという設定は何となく「トイ・ストーリー」を思い起こさせ、着想としてはややありきたりな感がしないでもない。もっとも、この作品ではおもちゃの兵隊は堂々と子供に話しかけている。シンプルな掌編。
 

Breakfast At Twilight 薄明の朝食 1954 仁賀克雄・訳

ある朝突然家ごと7年後の世界にタイム・スリップするという物語。7年後の世界は全面核戦争が勃発し、辺りは灰燼と帰して、男は容赦なく兵役、女は労役、子供は疎開させられる非常事態下にあった。その世界に残るか、再び時間の位相が変動して元の世界に戻れる可能性に賭けるか、主人公らは厳しい選択を迫られる。冷戦が始まり、核戦争の影に脅えていた時代の空気を巧みにすくい取った作品だ。自宅は全壊しながらも主人公らは現代への帰還を果たすが、彼らはもはや知ってしまった。もうすぐ戦争が始まることを。
 

Out In The Garden レダと白鳥 1953 仁賀克雄・訳

いつも庭でペットのアヒル、サー・フランシスと遊んでいる妻。主人公のロバートは妻が出産で不在の機会にアヒルを遠くへ捨ててしまう。やがて産まれた子供スティーブンはロバートになつかない。だがある日、珍しくスティーブンがロバートを「秘密のパーティ」に招待してくれた。ロバートがそこで見たものは、虫や蜘蛛をうれしそうに頬ばるスティーブンの姿だった。まるでアヒルのように…。ゼウスが白鳥の姿でレダに近づき懐妊させるギリシャ神話を下敷きにすることで結末は既に示唆されている。
 

Piper In The Woods 森の中の笛吹き 1953 仁賀克雄・訳

平穏な中継基地アステロイドY3でパトロール隊員が相次いで「自分は植物である」と主張して任務を放棄した。森の中に住む「パイパー」が事件に関与しているらしいと知った医師のハリスはその真相を探るためにアステロイドY3に赴き、その森の中で美しい少女に森の奥へと誘われる。帰還したハリスもまた自分が植物であると考えるようになってしまったことが結末で示唆されるが、森の中で何があったかはこの作品では語られない。ファンタジー作品としてはそれが物語に奥行きと余韻を与えているのだと思う。
 

Beyond Lies The Wub 輪廻の豚 1952 仁賀克雄・訳

交易のために降り立った星で、乗組員の一人が大きな豚を原住民から買って持ち込んできた。その星でワブと呼ばれる生き物らしい。フランコ船長はワブを殺して食べようとするが、ワブは高度な知能を持ち、テレパシーで人間とコミュニケーションができるのだった。知的な地球外生物とのコミュニケーションを描いた作品だが、ワブを食べることしか考えていない船長と、卑しく怠惰な豚の姿をしながら高尚な思想を持つワブの対比が面白い。ワブを食べた船長が、ワブに乗り移られ高尚な話を始めるオチがつく。
 

Psi-Man 超能力者 1955 仁賀克雄・訳

最終戦争後の世界。人々はコミューンを作り細々と生き長らえている。コミューンの外にはテレパスや時間遡行者などの超能力者たちが住み、訪れる者の病気を治したりしていた。時間遡行者は戦前の世界に戻って開戦を阻止しようとするが当局者はそれを聞き入れない。「AKIRA」のナンバーズを思い起こさせるような超能力者の集団が登場し、彼らの間の相克が描かれるが、物語全体が散漫でこの物語におけるディックの意図ははっきりしない。結末は一般人と超能力者たちとの融和が示唆されるようにも読める。
 

The Preserving Machine 名曲永久保存法 1953 仁賀克雄・訳

古今の名曲の楽譜を投入するとさまざまな生き物に生まれ変わらせる機械を発明したラビリンス博士。今や虫や獣と化した名曲達は森に放たれ、生存のために変貌していった。バッハ虫を再びつかまえ、楽譜に戻して演奏してみると、それは音楽とは言えないような支離滅裂な旋律を奏でるばかり。ワグナー獣が身体が大きくかんしゃく持ちの動物だとかそういうところで笑えはするが正直よく分からない作品。名曲を保存するために生存能力のある生物に返還しようとした博士の試みは失敗に終わった、という話だが…。
 

The Short Happy Life Of The Brown Oxford 万物賦活法 1954 仁賀克雄・訳

これもラビリンス博士もの。だいたいラビリンス博士という名前がいかにも頭のこんがらがったマッド・サイエンティストを思い起こさせる。博士は今度は無生物に生命を与える装置を発明した。オーブンそっくりのそれに靴を入れて乾かしたことから騒動が始まる。「名曲永久保存法」と同様に、ナンセンス・コメディに近い作品。まあ、アイデア一発というか何というか、バカバカしい話ではあるが、その分、罪もなく楽しめる。日本でいえば星新一のショートショートとかをちょっと思い出すような作品。
 

The Cookie Lady クッキーばあさん 1953 仁賀克雄・訳

いつも美味しいクッキーを食べさせてくれる近所のおばあちゃん。食いしん坊のビュバー少年は足繁くそのドルー夫人のもとに通い、クッキーをたらふくごちそうになっていた。だが、それを気味悪く思った両親はビュバーにドルー夫人の家に行くのを禁じる。ドルー夫人の家から帰ったビュバーはいつもぐったり疲れているのだ。実はドルー夫人はビュバーから若さを吸い取っていたのだった。かなりブラックな印象のある小品。レイ・ブラッドベリの短編とかを思い起こさせる。最後の訪問の後、ビュバーは…。
 

The Builder あてのない船 1953 仁賀克雄・訳

アーネスト・エルウッドはこのところ上の空だ。暇さえあれば子供の手を借りて大きな船を造り続けている。妻は呆れ、隣人に嘲笑されても彼は船造りをやめない。完成してもトレーラーがなければ海に運んで浮かべることすらできないのだ。ある日、アーネストはついに会社での仕事を放り出し、船を仕上げるために家に帰ってくる。自分でも分からないがとにかく船を完成させなければならない。そして近所の婦人に指摘されて初めてアーネストはその船にエンジンがないことに気づく。「ノアの箱船」を下敷きにした作品。
 

The Impossible Planet ありえざる星 1953 仁賀克雄・訳

宇宙船の船長であるアンドリュウスのもとに老婆がやってくる。地球へ連れて行けと言うのだ。地球、それは人類の故郷と言われている伝説上の星であり、そんなものが実在しているとはだれも信じていなかった。しかし強情に地球行きを求める老婆が示した大金に目がくらんだアンドリュウスは、集められる限りの情報を集め、その条件に合った惑星に老婆を連れて行く。その星でアンドリュウスが拾ったコインは「E Pluribus Unum」と刻まれた米ドル硬貨であった。そこは地球だったのだ。「猿の惑星」を思い出す。
 

The Commuter 地図にない町 1953 仁賀克雄・訳

メイコン・ハイツまでの切符を買いに来た小男。だが、そんな名前の駅はどこにも存在しない。不思議に思った係員のペインは、自ら電車に乗ってみた。するとどうしたことか、電車は小男の言うとおり、49分走ったところでメイコン・ハイツに停車したのだ。そこには灰色の霞が漂っていた。メイコン・ハイツはかつて僅差で造成を否決された構想上のニュータウンだった。過去に何らかの改変が起こり、現在に影響を及ぼそうとしているのだ。タイム・パラドクスをいわば「こちら側」から見た作品と言えるかも。



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