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「悪夢機械」に続いて1989年に新潮文庫から刊行された短編集で、前作同様1987年にアメリカで刊行された全5巻からなるディックの短編全集「The Collected Stories of Philip K. Dick」から、未訳作品を中心に12編を収録している。編者は浅倉久志。1950年代の作品5編、60年代4編、未発表や死後発表の作品3編から構成されており、タイトル作でもある「追憶売ります」を除いてはここでしか読めない作品ばかりである。

 

Recall Mechanism 想起装置 1959 友枝康子・訳

核戦争で荒れ果てた地盤を改良し、再び耕作に適した土地に戻す農務省の役人シャープは、理由の分からない不安に脅えていた。病的なまでの転落恐怖。階段さえ昇れない。シャープは精神分析医のハンフリーズを訪れる。過去のトラウマを探るべく記憶を喚起する装置で彼が思い出したのは、転落死の記憶、まだ起こっていない未来の記憶だった。シャープは自分の身に起こることを無意識に予知し、その恐怖に脅えていたのだった。人の心に巣喰う不安の源を意外な展開で明かして見せたディックらしいアイデアの秀作。
 

The Indefatigable Frog 不屈の蛙 1953 浅倉久志・訳

ゼノンの逆説は真実であると主張する物理学の教授ハーディーとそれを否定する哲学の教授グロート。ふたりはカエルがジャンプするたびに大きさが半分になり、ジャンプの距離も半分になる装置を作成、カエルがゴールにたどり着けるか実験をすることになった。だが、スタートしたカエルはついに目に見えない大きさになってしまい結果が検証できない。装置の確認のためにグロートが中に入ったとき、ハーディーが装置のスイッチを入れた。科学的に破綻しているが筋運びが洗練されており最後まで楽しく読める。
 

The Eyes Have It あんな目はごめんだ 1953 浅倉久志・訳

身体の部分にちなんだ慣用句を文字通り解して、人外のエイリアンが地球に紛れこんでいるという強迫観念に取りつかれた男の話。とはいえ内容はシリアスなものではまったくなく、単なる言葉遊び、ナンセンス・ストーリーになっている。サイズも非常に短くショート・ショートと呼べる作品。むしろこれを日本語に置き換えた浅倉久志のセンスを評価するべきかもしれない。いかにもというオチもついており、まあ、ちょっとしたディックのユーモアと見るべき、どうということのない作品である。
 

Upon The Dull Earth この卑しい地上に 1954 浅倉久志・訳

翼の生えた白い死霊を呼び寄せる力を持つシルヴィア。彼女は恋人リックの制止を聞かず羊の血をエサに死霊たちを呼び、彼らと戯れている。ある日、シルヴィアは死霊に近づきすぎ、死霊にさらわれてしまう。だがそれは過ちだった。死霊たちはシルヴィアを人間界に戻そうとするが、微妙なオペレーションは失敗し、すべての人間がシルヴィアに変わり始める。SFというよりもファンタジーに近い手触りの作品。リックの周囲がシルヴィアだらけになり世界が崩壊して行くラストも不気味な、水準の高い短編だ。
 

Orpheus With Clay Feet ぶざまなオルフェウス 1964 浅倉久志・訳

兵役逃れの仮病のアドバイスを生業にするスレードは、仕事に疲れ、休暇を取るために時間旅行サービスを訪れる。過去に遡り、科学者や芸術家に会って、歴史的な発見や創作のヒントを与えるのだ。スレードはジャック・ダウランドなる50年代のSF作家に「塀の上の父親」という作品のインスピレーションを与えようとしたが失敗、逆にその作品は歴史から消え去ることになってしまう。ディックはこの作品をジャック・ダウランド名義で発表。作中では消えた作品の代わりに歴史に残ったのが本作という落ちがつく。
 

Captive Market 囚われのマーケット 1955 山田和子・訳

雑貨店を経営するバーセルスン夫人は、ある時、時空の裂け目を見つける。それは核戦争による壊滅後の世界に通じていた。その世界の住人に品物を運び、彼らにはもはや無価値になった貨幣を受け取る。夫人の商売は利益を上げていた。だが、その世界の住人は地球脱出の準備を完了、バーセルスン夫人に取引は今回が最後だと告げる。バーセルスン夫人は、あり得る複数の未来から、彼らが脱出に失敗する世界を選び取引を続けようとする。着想は面白いがバーセルスン夫人が未来を決定する構成には飛躍がある。
 

Cadbury, The Beaver Who Lacked 欠陥ビーバー 1987 浅倉久志・訳

ディックの死後に発表された作品。寓話調にビーバーを主人公にしているが、ストーリー的にはまったくビーバーとは無関係。主人公のキャドベリーは妻の横暴に耐えかね、見知らぬだれかに宛てて瓶詰めの手紙を川に流す。やがてキャロルという女性から返事が届いた。キャドベリーはキャロルに会うべく川を遡る。だが、ようやく会えたキャロルはキャドベリーの前で3人の女性に分裂してしまうのだった。神学的なモメントも入り込んでいるようだが正直なところ何が言いたいのかよく分からない。
 

The Day Mr. Computer Fell Out Of Its Tree ミスター・コンピューターが木から落ちた日 1987 浅倉久志・訳

オゾン層の破壊により紫外線に冒されて奇怪な行動をとる人間が増え、その弊害を避けるためコンピュータ制御化された世界。だが、そのコンピュータも人間の狂った入力により誤作動を起こす。こんな時には地下深部で冷凍睡眠している唯一の「完全に正気な人間」であるミズ・シンプスンを起こすしかない。コンピュータの狂気の原因、それはあるレコード店員の自殺願望だった。コンピュータを治療するためには彼を治療しなければならない。独特のユーモアはあるがこれも意図の分からない作品。
 

Retreat Syndrome 逃避シンドローム 1965 友枝康子・訳

クパチーノは自分がガニメデで妻を殺し、地球に逃亡したと思っている。だが、彼の分析医ハゴピアンは、それがクパチーノの妄想だと言う。ハゴピアンに促されて訪ねた住所には、確かに妻キャロルが暮らしていた。それに直面したクパチーノは、自分が監獄か精神病院にいて、幻覚を見ているのだと考える。どこまでが現実がどこからが幻覚なのか。現実と思っていたものが次々と裏切られる典型的なディック・ワールド。短編だけにそのエッセンスが息もつかせぬ勢いで展開され迫力も十分。頭が混乱する。
 

Your Appointment Will Be Yesterday 逆まわりの世界 1966 小尾芙佐・訳

時間が逆行するホバート位相。だがホバート位相を生じさせた装置スワブルの発明が時間の逆行により抹消されることで時間はまた正常に流れ始める。時間はスワブルの発明と抹消の間のループに閉じこめられてしまったのか。長編「逆まわりの世界」の原型となる作品であり、アイデアのみならず設定、シーンも一部は共通しているが、死生観を論じた長編に比べると短編はアイデア・ストーリー的な色彩が強い。邦題は長編と同じだが原題は長編とは異なっている。論理的には破綻しているが力ずくで読ませる。
 

We Can Remember It For You Wholesale 追憶売ります 1966 深町眞理子・訳

クウェールはしばしば行ったことのない火星の夢を見る。だが実際に火星に旅行するのは経済的に難しい。彼は架空の旅行の記憶を与えてくれるリコール社の扉をたたく。だが、彼らがクウェールに架空の記憶を書き込む前にクウェールは火星での彼のミッションを思い出す。彼は密命を帯びた工作員で、その記憶は消去されていたのだった。ポール・バーホーベンによる映画「トータル・リコール」の原作となった作品であり、着想は秀逸。さらに重層的な現実の存在を示唆する結末もユーモアを含んで面白い。
 

Strange Memories Of Death 不思議な死の記憶 1984 深町眞理子・訳

これも没後に発表された作品。賃貸から分譲に変わったため追い立てを食う「リゾール女」と部屋を買い取ってそこにとどまる自分との比較に関する考察を延々と独白する異色の作品で、伝統的な意味でのSFではない。ディック自身もそのつもりはなかったかもしれない。筒井康隆的な不気味な思い詰め方のようにも思えるが、おそらく大して意味のない書きつけのような作品なのではないかと思う。どの辺が「死の記憶」なのか分からないし、結末も意味不明。たぶん深読みしすぎない方がいいのだろう…。



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