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A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉 (朝日新聞 2006年7月21日社説)

昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。(中略)今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。

現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。

だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。


僕は我が目を疑った。よく読めば表現は微妙だが、あの朝日新聞が、「天皇陛下がこうおっしゃってるじゃないか」という社説を掲載しているのである。

象徴天皇制の下では天皇の政治利用は許されない。天皇が何か発言したとしても、あるいは天皇が実はこう思っていたということが明らかになったとしても、それが政治的意味を帯びてはならない、それが政治的な議論に何らかの「決着」をつけるようなものであってはならない。天皇を現人神と奉って「お言葉」が時には法律以上の意味を持った戦前の体制への反省から、現在の憲法の下では天皇の政治的利用は厳に慎まなければならない。

それが常識だと僕は思ってきた。朝日新聞は当然そういう考えなのだろうと思っていた。

それが、これだ。

国民がこぞって戦争犠牲者を悼むことのできる場所が必要だということを、今回明らかになった昭和天皇の発言が示しているのだそうだ。A級戦犯の合祀はけしからんというのは「重い言葉」なのだそうだ。

それって、おかしくない? 天皇の言葉を自分の主張のために都合よく解釈するのって、「民主主義」の好きな人たちがずっと嫌ってきたことなんじゃないの? 天皇が何と言おうと、A級戦犯の合祀の可否はそれ自体に即した国民の自主的な価値判断によって決めるべきで、天皇の意向が議論を左右するようなことがあってはならない、というのが「民主的」な考え方だったはずじゃないの?

仮に今回明らかになった昭和天皇の発言が、正反対の方向性を示すものであったとしても、朝日新聞はそれを「重い言葉」だと書いただろうか。「天皇の歴史的な発言に過度の意味を求めるのは無理がある」とか「天皇の個人的な発言を政治的に利用することは慎まなければならない」とか書いたんじゃないだろうか。

産経新聞は「それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい」と書いていて、天皇の政治的利用への目配りという意味では、こちらの方がよほど抑制的で民主的な正論だろう。

ふだんは「民主的」な顔をしている人たちが、自分の主張を通すためなら天皇の発言だってガンガン政治利用しちゃういい加減さがステキだ。日本の戦後民主主義なんて、所詮その程度の便宜的なものだったということなんだろうな。



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