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「解釈誤った拒否多い」個人情報保護法で日弁連シンポ (読売新聞 2006年4月21日)

日弁連の情報問題対策委員会が、弁護士が業務で直面した問題点などを報告。本来は提供されるべき情報が、保護法を理由として提供されなかった事例として、社会保険事務所が、死亡者の国民年金保険料滞納の有無について、相続財産管理人の弁護士に提供を拒んだケースや、銀行協会が法人の取引停止の有無について、弁護士法に基づく照会に回答を拒否したケースなどが挙げられた。
同委員会は「誤った解釈で、『とりあえず拒否すればいいだろう』という事例が多い」と指摘し、保護法の正確な理解と解釈を求めるべきだと訴えた。


最近あちこちで個人情報保護法が問題視されているようだ。だいたいは役所が個人情報の保護を盾に以前は問題なく公表していた情報――例えば官僚の略歴とか――を出してくれなくなっただとか、小学校のクラス名簿をもらっても住所も電話番号も載っていないので何の役にも立たないだとか、大事故であちこちの病院にケガ人が運びこまれているのに病院が収容者の名前を発表しないのでだれがどこにいるのか分からんだとか、そういう類の「過剰反応」を指弾する内容が大半だ。

遅いよ。遅すぎる。そんなの、法律ができたときから分かってたことじゃん。

法律には、取得した個人情報は予め公表した利用目的以外に使ってはいけないとか、本人にことわりなく第三者に提供してはいけないとか書いてあるんだもん。いくらこの法律は個人情報の有効な利用と保護の調和を図ったものだと今頃言われても、その利用の仕方は利用目的を逸脱してるとか無断で第三者提供しているとか言われてネジこまれるリスクがある限り、情報を持っている人の運用が保守的になるのは当たり前のことだ。どんな利用の仕方は大丈夫でどんなやり方はダメなのかきちんと示してやらないと、思い余って学級名簿から生徒の住所や電話番号を削除してしまう先生を責めることなんてだれにもできないだろう。

もちろん個人情報の保護は大事なことだ。自分の知らないところで自分に関する情報が勝手にやりとりされたりヘンな目的に利用されたりするのは僕だって勘弁して欲しい。しかし、仕事であれ日常生活であれ、人の社会活動はどれもこれも多かれ少なかれ個人情報のやりとりによって成り立っている。自分に関する何もかもを自分で独り占めすることはできない。表札を出さなければ郵便だって配達してもらえないのだ。

だから保護と利用の調和はいろんなケースの積み重ねの中から見極められて行かざるを得ないのだと思うけど、それが結果的に違法だと判断されるリスク(所謂リーガル・リスク)を情報の持ち主ひとりにひっかぶせている限り、個人情報の「有効な利用」なんて遅々として進まないだろう。「正確な理解と解釈」を求める相手は、学級名簿を作る先生の方ではなくて、「学級名簿に住所や電話番号を載せるのは個人情報の漏洩だ」とか何とかキーキー騒ぐ保護者の方なんじゃないかと僕は思う訳だ。



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