logo ベルンの奇蹟


「ベルンの奇蹟」という映画を見た。1954年のワールドカップでドイツ代表が無敗を誇ったハンガリー代表を破って優勝した試合が題材なのだが、そこにソビエト抑留から帰還した父親を迎える家族の複雑な思いを描くドラマが絡まり合い、全体としては第二次世界大戦でドイツがいかに深く傷ついたかということと、彼らがその中から再び自信を取り戻すためにサッカーというスポーツがどれほど大きな役割を果たしたかということを印象づける内容の映画である。

ドイツはナチスの下で第二次世界大戦を戦い、連合国に敗れた。この映画を見てまず感じるのは、54年当時、ドイツがまだいかに自信を失っていたかということである。今でこそドイツはサッカー大国だが、当時はワールドカップの決勝に進出したこと自体が奇跡であり、その上ハンガリーに勝つなんてだれも予想していなかったのだ。それは当時ドイツが国際社会の中で置かれていた状況ともおそらく一致する。ドイツは敗戦国であり、貧しかった。傷つき、途方に暮れていた。

エッセンの炭鉱街、主人公の母親が経営する居酒屋、そこに集まる人たち、そしてソビエト抑留から10年ぶりに帰還した父親。丁寧に描きこまれたディテールから、まだ生々しい戦争の傷を必死に癒そうとする普通のドイツ人の暮らしが見える。彼らにとって、ドイツ代表がワールドカップで決勝に進出したこと、そしてそこで常勝ハンガリーを相手に逆転勝ちを演じて優勝したことは、まさに奇跡だった。それはただのサッカーの試合ではなく、傷つき、地に落ちた彼らの誇りの最後のひとかけらであり、それを守ることによってドイツは自信を取り戻したのだ。

主人公の家族が住むエッセンという街はルール工業地帯にある鉱工業都市である。人々は地下の炭鉱で石炭を掘り、あるいは鉄工所で一日厳しい労働に明け暮れる。エッセンだけではない、ドルトムント、ボッフム、そしてシャルケのあるゲルゼンキルヘンなど、同じようにルール工業地帯に位置する街々では、サッカーは肉体労働者の唯一の娯楽であり、彼らの街のクラブの勝利は彼ら自身のプライドそのものである。そうした背景があってこそ、ワールドカップでドイツが優勝したことにドイツ人は戦後のドイツを導く一筋の光を見ることができた。

スパイクを売り込む若き日のアディ・ダスラー(アディダスの創始者)、ヘルベルト・ツィンマーマンの歴史的なラジオ実況(エンドロールがすべて終わった後、「それではドイツのスタジオにお返しします」と聞こえるのはその一部だろう)、そして決勝戦で勝ち越しのゴールを決めたヘルムート・ラーンのその後の人生(隠遁生活を送り2003年に死亡した)など、ドイツ人であればこの映画を見るだけで思い起こされるエピソードがいくつもあるはずで、彼らにはこの映画はきっとただの家族ドラマでもサッカー映画でもなく、自分自身の物語としてリアルに感じられるのだろう。

もちろん、そのような背景を知らなくてもこの映画は十分楽しめる。だが、サッカーというスポーツがこんなにもしっかりと生活の中に、歴史の中に息づいているその実感というものは、我々日本人にはまだ経験のないものだ。この映画を見終わって感じたのは、この物語を共有できるドイツ人への羨望と、いつか僕たちの国でもひとつのサッカーの試合が僕たち自身のプライドを代表するような日が来るのだろうかという祈りのような問いかけだった。ドイツやドイツ・サッカーに興味がある人にはもちろん、そうでない人にも是非見て欲しい映画だ。



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