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去年の9月のことだが、Jリーグのある試合で審判の判定に不満を持ったFC東京のファンが、試合後ブーイングとともに「糞レフリー」の大合唱をしたことがあった。僕はそれを聞きながら電車が混む前にとスタジアムを後にした訳だが、僕の前を歩いていたお父さんが子供に「ああいうのはよくないね」と言ってるのが聞こえて笑ってしまった。「ああいうの」というのはもちろん「糞レフリー」の大合唱のことだが、そのとき僕は自分の子供に「今日の試合は審判に壊されたよな」と大きな声で話していたところだったからだ。

もちろん審判の判定は絶対だ。どんなに不可解な判定であっても一度下された判定が覆ることはない。だがそのことと、審判が無謬であるかどうかとは別の話だ。審判だって人間である。我々がビデオで何回も見直すことのできるプレイを彼は肉眼で一度見ただけで判断しなければならない。ファウル、オフサイド、ダイブ、審判を欺いてFKやPKをもらおうとする選手までいる中で、瞬時に正しい判定をすることは容易なことではない。いや、むしろ間違いは一定の確率で発生すると考えた方が自然だろう。

だから、僕たちは、審判の判定が本当に正しかったかどうかを常にきちんと検証しなければならない。それは試合結果を覆すためではなく、審判の技量を向上し少しでも間違いの発生する確率を下げるためである。そして気持ちよく試合を見るためである。そのためには納得の行かない判定にははっきりブーイングしなければならない。あなたの判定はプロの試合を司る審判として拙いと彼に伝えなければならないのだ。

ヨーロッパで制作されたサッカー中継の画像では、オフサイドの判定があれば必ず俯瞰カメラからの画像をリプレイしてその判定を検証している。PKになったファウルやダイブと審判が判定したプレイは何度も繰り返しスローでリプレイされDFの足がFWにかかったかかからなかったかしつこく確認する。ドイツのアナウンサーはその画像を見せながら「これはオフサイドではありませんね」とか「確かにDFの足が触れる前に倒れこんでますね」といったようなことを明確に述べるのである。

もちろんかの国ではスタンドのファンも黙ってはいない。不可解な判定にはブーイング、指笛の嵐だ。「糞レフリー」なんかはまだマシな方でもっと聞くに耐えない罵詈雑言が浴びせられる。モノだってガンガン投げこまれる。ハーフタイムや試合終了後、降り注ぐ紙くずやライターやその他よく分からないモノの中を、雨でもないのに傘をさしたセキュリティに守られながら退場する審判団を僕自身何度も見た。

また、そうしたシーンの中でも誤審と思われる判定や試合を決定づけた判定は夜のダイジェストで繰り返し放送される。キャスターがそれを論評し、時によってはサッカー協会の審判部長みたいな人がそういう番組に出てきてひとつひとつの判定を解説したりする。試合中の判定にビデオカメラを利用すべきかどうかが真剣に検討されていたりもする。

もちろん僕は日本もその通りにやるべきだと言っているのではない。特にモノを投げこむ行為は真似すべきでないし、汚い言葉で審判の人間性を侮辱するようなことも慎むべきだろう。そういう意味では「糞レフリー」も決してほめられたヤジではない。しかし、自分でカネを払ってわざわざ試合を見に行っている以上、納得のできない判定にブーイングする権利はあると僕は思う。「審判に文句を言っちゃいけないね」なんて他人事のように子供に言えるお父さんがいる限り、サッカー観戦はまだまだ切実なもの、必要なものとして日本に根づいてはいないということなんだろう。



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