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パトカーで受験生送る=「人生を左右」と京都府警 (時事通信社 2004年2月8日)

7日午前10時ごろ、京都府警九条署の山王交番(京都市南区)に、同志社大学の受験会場を間違えた女性が「何とか(会場まで送ってくれるよう)お願いします」と駆け込んできた。同署はパトカーを出動、赤色灯を点灯させ、約25分後、同大京田辺キャンパス(同府京田辺市)まで女性を送り届けた。

同キャンパスまでは通常、40分ほどかかるといい、この女性は遅刻したが、試験は無事受けられた。

同署によると、この女性は試験会場を今出川キャンパス(京都市上京区)と間違え、気付いてタクシーに乗ったものの、間に合いそうになく、泣き崩れるようにして交番に頼んできたという。

九条署の話 大学受験は人生を左右する出来事と考え、パトカーを出動させる必要があると判断した。


あはは、ははははは、ははは…。アホらしくて涙が出てきたわ。世間の人はこの記事を読んでどう思うんですかね。京都府警もええとこあるやん、とか何とか? アホらしい。大事な受験会場を間違えるこの女の子の脳味噌のユルさは別としても、それを回転灯つけてサイレン鳴らしながら試験場までパトカーで送り届けた京都府警って、いったい…。

お役所仕事といえば融通が利かない杓子定規な仕事ぶりの代名詞だが、お役所仕事に融通が利かないのには理由がある。お役所はいうまでもなく公的な機関であり、国家権力の最前線である。憲法にも書いてあるとおり、公務員は全体の奉仕者である。公的な機関である以上、その仕事は公平であり公正でなければならない。役所が理由もなくある人には親切にし、ある人は邪険に扱うなんてことは許されないのだ。

それはつまり、公務員たる者、同じような問題が起こったときには同じように対応しなければならないということだ。思いつきや気まぐれで時によって同じ問題に対する対応が違っている訳には行かない。大雑把にいって、憲法とか行政法とかいうものは、国家権力の気まぐれで恣意的な振る舞いによって国民の利益が損なわれないように基準を与え、いい加減で無原則な権力の乱用ができないように枠をはめるためにこそ発展してきたのである。

だからこそお役所仕事は融通が利かなくて当たり前、いや、簡単に融通を利かせてもらっては困るのだ。役人が前例を気にするのも理由は同じ。公務員の権限というのは僕たち国民が彼らに委ねたものに他ならないのだから、どんな国民にでもそれを等しく適用してもらうというのは最も基本的な要請の一つであり、そういう当たり前の原則を先人は長い闘いの末に王や特権階級からようやく勝ち取ってきたのだ。そう考えれば、特定の人だけを差別的に取り扱うことはもちろん、逆に特定の人だけに便宜を図ることも本来あってはならないことのはずである。

そりゃ、試験場を間違えれば動転もするだろう。交番に駆けこんで「何とかして欲しい」と頼みこみたい気持ちにだってなるかもしれない。僕だってこの女の子に同情しない訳じゃないのだ。だが、それに対してパトカーを出動させたのは正しい判断だっただろうか。僕はそうは思わない。試験に遅れそうな受験生がいるたびにパトカーを出動させていたら日本中に何台パトカーがあっても足りないだろう。そんなことをしていたら交通秩序だって無茶苦茶になってしまう。

確かに「大学受験は人生を左右する出来事」かもしれない。だが、同じ「大学受験は人生を左右する出来事」でも、警察に手助けしてもらえる人としてもらえない人がいてはならない。これから試験に遅れそうになった受験生は交番に駆けこんでみることだ。そのときのためにこの日の新聞を探してこの記事を切り抜いておいた方がいいかもね。



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