開けチューリップ
17世紀初頭のオランダの話である。ペーターはチューリップの仲買人だったが、来年の分の球根をどうしても確保しなければならない事情があった。今、球根を買えば1個3ギルダーだが来年までには芽が出て花が咲いてしまう。そこでペーターは別の仲買人ヨリスから、来年の春に球根を1個4ギルダーで買う約束をした。ところがその年はチューリップの育ちがよく、翌年の春にはチューリップの球根は1個2ギルダーに値下がりしてしまった。しかしペーターはヨリスと1個4ギルダーで買う約束をしてしまっている。泣く泣くペーターは市価の倍である1個4ギルダーでヨリスから球根を仕入れ大損をしてしまった。 そこでペーターは一計を案じた。今、球根は1個2ギルダーだが、来年はこれが3ギルダーに値上がりするかもしれない。逆に豊作で1ギルダーに値下がりする可能性もある。そこでペーターはヨリスにこう持ちかけたのだ。来年の春、オレはオマエから1個2ギルダーで球根を買う権利が欲しい、その代わり、オマエから球根を買っても買わなくても、1個あたり0.5ギルダーの権利料は払う、と。 果たせるかな翌年、チューリップは悪天候のせいで生育が悪く球根は1個5ギルダーに値上がりしてしまった。ペーターは権利を行使してヨリスから1個2ギルダーで球根を仕入れ、加えて1個あたり0.5ギルダーの権利料を払ったが、それでも市価で球根を仕入れるより1個あたり2.5ギルダーも安くつき、去年の損を取り返してしまった。 仮にこの年、球根が再び豊作で1ギルダーに値下がりしたとしたらペーターはどうしただろう。ペーターはヨリスから1個2ギルダーで球根を仕入れる権利を放棄し、市場で1個1ギルダーの球根を買えばいいのだ。なにしろそれはヨリスから球根を買う「約束」ではなく「権利」なのだから、行使するか放棄するかはペーターの自由なのだ。もちろん権利を放棄しても権利料の1個0.5ギルダーはヨリスに払わなければならないが、それでも1個あたりのコストは1.5ギルダーで、みすみすヨリスから1個2ギルダーの球根を買わされるよりは0.5ギルダーも得をすることになる。こうしてペーターは球根の値上がりリスクをヘッジしつつ値下がりの利益は享受できるような仕組みを作り出すことに成功したのだ。 これが今日いうオプション取引の原型である。ここで分かることは、「権利」には値段があるということだ。もし1個あたり0.5ギルダーの権利料がなければ、ヨリスは決してこんな取引を引き受けなかっただろう。ペーターが、ヨリスから1個2ギルダーで球根を「買うことができる」という抽象的な権利、つまり球根購入の選択権に0.5ギルダーの値をつけたからこそこの取引は成立し、ペーターは球根の価格変動リスクをコントロールすることができたのだ。 「ある大学に入学することのできる権利」はまさにこのオプション、選択権に他ならない。ある学生がその大学に入学してもよい、しなくてもよいという自由を手にしている一方で、大学はこの学生が入学するかもしれない、しないかもしれないという不確実性を負担している訳であり、その経済的な非対称性には価格が存在して当たり前。たまたま他の大学に合格したからといって、行使しなかった権利の権利料、つまり入学金を返せというのは経済合理性に反した主張であり、都合のいい結果論である。 リスクとは不確実性、不確定性のことに他ならない。リスクをヘッジするにはコストがかかるのが当然だ。授業料は授業の対価だから入学しなかった以上返還するのも筋のような気がするが、入学金はとりあえずその大学に席を一つ確保しておくための選択権料、オプションプレミアムのようなものであって、これまで返せというのはちょっとムシのいい話ではないかと僕は思うのだ。 2003 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |