logo 毎日がカジュアル


損保ジャパン、「エブリデー・カジュアル」スタート (朝日新聞 2002年7月28日)

安田火災海上保険と日産火災海上保険の合併で今月発足した損害保険ジャパンは、社員の服装を通年で原則自由とする通年の「エブリデー・カジュアル」を始めた。金曜だけ、夏だけ、という企業は増えつつあるが日本の金融機関で通年のカジュアル化は異例だ。
部店長会議では平野浩志社長もノーネクタイに赤ストライプのシャツで登場。社員も涼しい服装を歓迎する一方で、「娘が『どこ行くの』と聞いてきた。通勤中も休暇中と間違えられそう」「ゴルフ場のラウンジにいるみたい」との戸惑いも聞かれた。


この記事を読んで、いいなあ、うちも毎日カジュアルだったらなあ、と思ったサラリーマンのあなた、正直に告白しましょう、僕もそう思いました。でもすぐに考えました。でもそうなったら毎日何を着て行こう…。

ドイツにいた頃、金曜日はカジュアル・デイだった。当時僕は直接顧客と接しない仕事をしていたのでだれはばかることなくカジュアル・フライデイを実践していたのだが、いくらカジュアルといってもそこには一応のドレス・コードのようなものがあり、ジーンズはダメ、襟のないシャツもダメと言われればいい年したサラリーマンの着るものはゴルフ・ウェアしかないという状態だった。

僕はそもそもゴルフ・ウェアというものを持っていないのでこのドレス・コードには結構困った。仕方なくオリーブ・グリーンのチノパンとユニクロで買ったピンクのオクスフォード綿のボタンダウンシャツを着て行った。僕にはこれ以外の服装を考えつくことができなかったのだ。チノパンの色がカーキや紺になったり、シャツをローテーションしたりはしたが、それは僕にとっては「金曜日の服装」ではあっても「カジュアル」ではなかった。

もちろんそれでもスーツにネクタイ、革靴より気分的に開放感があるのは確かだ。そういう意味で「カジュアル・フライデイ」にもそれなりの効用はあったと言うべきだろう。そして僕の「金曜日の服装」は客観的には「カジュアル」に他ならなかった。つまり僕がふだん着ている服というのは「カジュアル以下」だったということなんだろう。結局、僕に決定的に欠けていたのは、「仕事着」と「プライベート」の間に横たわる「カジュアル」という「半パブリック」の意識だった訳だ。

そういえばドイツでまともなホテルに泊まったりまともなレストランでメシを食うときにはやはり服装に困ったものだった。ジーンズ、Tシャツがダメなのは常識として、仕事着のダークスーツでは野暮ったすぎる。その中間にあるのがカジュアルなのだが、それは決して「楽な格好」ではないのだ。もちろんそれは階級社会の産物で、つまりきちんとした仕事に就く者、カネを持っている者は休みの時も楽をしないでそれなりの格好をしなさいということだ。ポルトガルのアルガーヴに休暇に行ったときは、リゾート・ホテルの晩メシのドレス・コードが「半パン、サンダル禁止」だったが、僕も既に在欧数年目だったからきちんとそういう備えはあった。宿泊客はみんなそれなりの格好をしていた。それが階級であり歴史なのだと僕は学んだ。

階級のない日本で(いや、本当はあるんだけどその話は長くなるから別の機会にしよう)、毎日がカジュアルになると結局おじさんの着るものはゴルフ・ウェアしかなくなるし、入社早々の若者は目も当てられないような「非常識な」格好をしてくるのだろう。面倒くさいから自主的にスーツを着るという人もいるかもしれない。それはそれで面白いだろうしよその会社の話だからどうでもいい。ただ、カジュアルという言葉だけを問題にするなら、パブリックという意識のないところでは本当のカジュアルというものは理解されないんじゃないかと僕は思う。

別に日本にヨーロッパ流の階級社会を持ち込めと行っている訳ではないが、とにかく仕事にはスーツを着て来いと教えられてきた人たちに、明日から何を着て来てもいいですよと言っても途方に暮れるだけだろう。場に合わせて自分をベストに見せる服装をチョイスすること。それは当たり前のことなんだが自己責任の時代というのは服装ひとつとっても大変なんだなあということだ。



Copyright Reserved
2002 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com