logo W杯総括(2)―ドイツ代表


2000年にオランダとベルギーが共催したヨーロッパ選手権で、ドイツは屈辱的な1次リーグ敗退を喫した。監督は更迭され、後任人事はモメにモメた。代表チームには激しい非難が浴びせられた。たった2年前の出来事だ。

今回のワールドカップで主力として戦った選手のうち、このときのヨーロッパ選手権に出場していなかったのは、メツェルダー、フリングス、シュナイダー、ノイヴィル、クローゼくらいのものだ。カーンはもちろん、リンケも、ラメロウも、ハマンも、ツィーゲも、バラックも、ボーデも、ヤンカーも、ビアホフも、イェレミースも、みんなヨーロッパ選手権1次リーグ敗退の戦犯なのだ。ついでに言えばノイヴィルはそれ以前から代表戦に出ていたがヨーロッパ選手権の直前になって監督構想から漏れただけだし、シュナイダーもかつて代表入りしながら長く不遇をかこってこの時期には完全に忘れられた存在であった。ワールドカップで純粋に「新しい血」として働いたのはメツェルダー、フリングス、それにクローゼだけなのだ。

だからこそ戦前のドイツ代表の評価はパッとしなかったのだし、実際ドイツ国内でもコンセンサスはベスト8がせいぜい。ドイツの長島ことベッケンバウアーが「このメンバーでベスト8なら私は満足だと言わねばならない」と自虐的に語ったのも決して謙遜ではなかった。

僕もまた同じように思っていた。ここ数年ブンデスリーガを意識して応援してきた者として、今のドイツ代表には格別の親しみと愛着があるが、それと客観的な戦力評価とは別の話だ。もともとストライカーと呼べるストライカーがだれもいない上に、攻撃の要であるショルが不調を理由に代表辞退、期待の星ダイスラーもケガでメンバーを外れ、直前になって守備の要ノヴォトニー、ヴェアンスも抜け、右サイドバックのレギュラーであるレーマーはチームには帯同したがケガが癒えず、結局ほとんど働けなかった。ダメダメじゃん。

にもかかわらずドイツは準優勝した。理由はいくつかある。まず高い実力を備えたヨーロッパや南米の強豪とほとんど当たらなかった。決勝でブラジルと戦うまで、最も厳しかった試合は準々決勝のアメリカ戦だった。アメリカだぜ、アメリカ。あのサッカー不毛の地アメリカ代表、ニュルンベルグのサネーやレバークーゼン二軍のドノバンやハイデュクが主力のアメリカ代表との試合が一番しんどかったのだ。他がいかに「格下」相手の楽な試合だったか推して知るべし、だ。

ケガ人が続出し、二線級でチームを組織しなければならなかったという事情が、逆にチームに緊張感を生み、コンパクトな戦術を強いたのも大きな要因だ。アジアの蒸し暑さにやられた他のヨーロッパのチームに比べ、試合がほとんど夜の日程で恵まれていたということもあるし(サウジ戦は札幌での試合だ)、初戦でクローゼというラッキーボーイが出てムード的にチームを引っ張ったのも結構大きかった。

だが、最も大きな要因は、ドイツが確固たるドイツ的スタイルというものを持っていたということだろう。それはある特定の戦術のことではない。もちろんそれも含まれるのだが、要は、面白くない、美しくないと揶揄され、笑われても、1点でも多く敵から取って勝てばそれでよい、逆にその1点を取るためにならスタイルは問わないしあらゆる努力を惜しまないという、プラグマティックでストイックなサッカーのことだと僕は思っている。そしてそれがチームだけでなく、指導者にも、国民にも、我々のサッカーというのはそのようなものなのだというコンセンサスとして完全に形成されているということだ。

ヨーロッパ選手権ではそのコンセプトに明らかな混乱があり、代表はチームとして機能していなかった。しかし、ほとんど変わり映えしないメンバーで臨んだワールドカップでは、主力の多くをケガで欠くという逆境が逆にチームにまとまりをもたらした。彼らにはもう華麗に戦っている余裕などなかっただけのことなのだが、それがドイツという国の勝利の記憶とたまたまリンクしたのだと僕は解釈している。

だから鉄壁の守備なんて言われると僕はすごい違和感を抱いてしまう。もともと最近のドイツ代表のディフェンス・ラインは、レーマー−ノヴォトニー−リンケ−ヴェアンスが定番なのに、今回は主力が軒並みダウンで仕方なくMFのラメロウをセンターバックにコンバートし、代表経験のほとんどないメツェルダーに左を任せざるを得なかった。僕があまり好きでないリンケが意外なほどがんばってくれたこともあって何とかしのいだが、ディフェンスは決して鉄壁でもなければ万全でもなかった。ドイツの守備が堅かったように見えるのは、こっちが1点しか取れないなら相手を0点に抑えて勝つしかないだろうというコンセプトがチーム全体で共有されていたということなのだと思う。

あの国に暮らした者として、ドイツ代表がスルスルと決勝まで上がって準優勝してしまったことは実に痛快であったが、いや、実はそんなにエラいもんでもないんですよ、という気がしていたのも事実だ。ただ、僕があの国のことをうらやましく思うとすれば、それは彼らが長いドイツ・サッカーの歴史の中で今回の準優勝を含めたたくさんの物語を共有しあっていることであり、それが彼らの戦いのバックボーンに常に息づいているということだ。もちろん、それを「ゲルマン魂」と呼ぶかどうかは別として、だが。



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