logo 真面目な人たち


ドイツで仕事をしていた頃、日本人とドイツ人の仕事に対する考え方のギャップに困らされたことが何度もあった。日本人はとにかく細かく、生真面目で、几帳面だ。時間にも正確だし約束はきちんと守る。一方ドイツ人はそれに比べるとかなりいい加減で、すぐに、仕方がない、運命だ、と言って諦めようとするし言い訳をして責任逃れをしようとする。これは極端な話でも何でもなくて、ドイツに住む日本人には当たり前の事実である。ドイツ駐在のサラリーマンの仕事は、「このいい加減な報告は何だ」と怒る東京の本部と「なんでこんな細かいことまで報告しなければならないのか、いったい何の役に立つのか」とふてくされるドイツ人の調整に尽きると言っても過言ではないくらいだ。

だがそれはドイツに限った話ではない。僕が海外で働いたことのある同僚や友達に話を聞く限り、日本人より細かく、生真面目で、几帳面でせっかちな国民はどこにも存在しない。ドイツはまだマシな方で、ヨーロッパでも他の地域ではもっとルーズ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなんかの発展途上国になるともう完全に異世界らしい。アメリカだって「明日行きます」と連絡をよこした電化製品の修理屋が待てど暮らせど来ない、なんてことは日常的に起こるという。いいですか、宅配便が2時間刻みで配達時刻を設定してくれる国なんて世界中どこを探しても日本以外にはないんです。

しかし、そうしてみると、実はヤツらがルーズなのではなく、むしろ我々の方が異常に細かく生真面目で几帳面でせっかちだということなのではないのか、という当然の疑問が起こる。そしてそれはおそらく正しい。ただ、我々はふだん海に囲まれた島の中で、比較的同質性の高い集団の中でしか生活しておらず、その中ではその几帳面さが当然のこととして共有されているために、それが何かおかしなことだという自覚を持つ機会がないだけのことなのだ。

どこかのアフリカの国のチームのキャンプを誘致した町の役場の担当者が疲れ果てて自殺したらしい。おそらく彼はアフリカの国の人たちと交渉を重ねる中で、そうした自分たちの常識が通用しない世界があるということを実感しない訳には行かなかっただろう。しかし、それは彼の上司には分かってもらえなかったに違いない。実際に異文化と触れたことのない人には、我々の常識が実はかなり特殊なものだということはなかなか理解されない。その板挟みで苦しんだであろうこの担当者に僕は心底同情する。

ワールドカップ開幕間際になってもチケットが届かなかったり、完売だったはずのスタンドが空席だらけだったのを見たときも同じようなことを考えた。チケットの販売を受託したイギリスの会社がいい加減なのは明らかなことだが、それに対応した日本の担当者は、彼らが日本の常識の通用しないちゃらんぽらんな相手であるということをきちんと理解していたのだろうか、と。

外国人と仕事をするときには、彼らは常にこちらの期待とは逆の動きをする、と考えた方がいい。これは善し悪しの問題ではなくて、当然共有していると思っていた暗黙の了解とか常識のようなものが往々にして通用しないという事実の問題だ。間違いが起こって困るときは間違いが起こらないように「こんなことまで言わんと分からんか」というようなことまで言葉にして確認しなければならない。同じ常識を共有しているという根拠のない幻想は捨てなければならないのだ。

そういうことを思い知っただけでも今回のワールドカップはずいぶん価値のあるものなのかもしれない。もう一度書いておくが、我々は世界でも異常に細かく、生真面目で、几帳面で、せっかちな国民だ。僕はそれは必ずしも悪いことだとは思わないが、それが決して世界的に「普通」ではない、ということは知っておかなければならないと思うのだ。



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