logo トルシエ・ショック


フィリップ・トルシエがサッカー日本代表の監督を2002年のワールド・カップまで続けることが決まったようだ。ま、いろいろと曲折はあったけれど、ともかくはっきりしたということはいろんな意味で喜ばしい。予選免除の開催国として本大会までモチベーションを高めながら強化を行うことは難しいだろうが、ハッサン2世杯のフランス戦を見れば希望は十分ある。希望という点では少なくともドイツ代表よりはよっぽどマシだろう。今なら勝てるぞ、きっと。

だが、それにしてもここ数ヶ月繰り広げられた代表監督をめぐるドタバタは見苦しかった。ま、ベンゲルにいいようにやられたという見方もできるが、サッカー協会の代表監督選考の過程がまったく不透明でその意思決定のシステムがはっきりしないことがドタバタの大きな原因だったことはだれも否定しないだろう。いかに代表チームを強化するかということより、協会としていかにだれも(但しトルシエ監督本人は除く?)傷つかないような格好で円満に次期監督を選考できるかという内向きな論理が優先されていたように見える。

その間トルシエ監督本人は、「評価だけしてサポートしようとしない協会なんて無用だ」「協会ではだれが責任を負っているのか、だれと話をすればいいのかも分からない」と協会批判に終始した。本当なら雇い主に対するこんな批判を許す方がおかしい。クビだ、クビ。だがそれにすらきちんと対応できず言われるままだった協会も相当情けない。この騒動が浮き彫りにした協会の問題点はだいたい次のように整理できるのではないかと思う。

●意思決定のシステムがはっきりしない。だれがどういう手順で決めるのか、どの機関がどんな権限を持っているのか、決まってはいるんだろうけどそれがさっぱり分からない。
●明快な決断がなされない。だれもかれも責任を回避するような曖昧な物言いに終始して、はっきりしたことを言おうとしない。決断の基準もよく分からない。
●異様に時間がかかる。本当に切羽詰まるまで決断は常に先送りされる。余裕がある内にだれかが何かを決断するとその人の責任になっちゃうからだ。だから何となく「こんな感じかな」という共通の雰囲気が醸成され、ギリギリのタイミングで「もうこれしかないですな」とみんなが認めるまでは決定がなされない。そうすればだれも責任を負わなくてすむから。
●そうした過程が外部に対してまったく公開されないし説明されない。こんな感じらしいというのが洩れ伝わってくるだけ。

これに対してトルシエのやり方はまったくの西洋流だ(当たり前だ、フランス人なんだから)。自分の立場を明確にし、自分の利益を主張する、第三者にも自分の考えを説明する。もちろんそれは彼の側の論理だからそれが100%正しい訳ではない。協会には協会の論理があり立場がある。だがトルシエにすれば協会はそうした自分の論理を同じように明快に主張すべきだということになるだろう。そうしてそれぞれの利害をぶつけ合う中で折り合える点を探して行こうというのがおそらくは彼の流儀であり、その「ぶつけ合い」が行われない曖昧模糊としたシステムに彼は苛立ったのではないだろうか。そう、トルシエは選手にも「もっと自分を表現せよ」と要求していたというじゃないか。

で、こうしたドタバタの間、心あるサッカー・ファンのあなたはどちらに肩入れしてことの成り行きを見守っていただろう。推測するに多くの人はどちらかといえばトルシエに共感し、協会の迷走ぶりを嘆いていたのではないだろうか。かくいう僕も新聞を読みながら協会に「ええ加減はっきりしたらどうや」と思っていたし、トルシエの発言には「もっと言うたらんかい」と感じていたものだ。

だが、例えばあなたの勤める会社が業績不振に陥り外資に買収されてフランス人の社長がやって来るとしよう。彼にはあなたの会社の意思決定システムはどのように映るだろう。ミーティングの間ひとことも発言しないで資料に目を落としたままのあなたをどう評価するだろう。そして彼があなたに向かって「もっと自分を表現しなさい」と言ったとしたらあなたは果たして「もっと言うたらんかい」と思うだろうか。

僕は正式勤務だけで5年半、研修も入れれば通算6年半ヨーロッパで仕事をしているから、主張だけはしっかりしていてさっぱり働かないドイツ人や、プレゼンテーションは素晴らしくてもまったく仕事のできないイギリス人をいくらでも知っている。逆にミーティングでは押し黙っている日本人が実際には遅くまで外人の何倍もの仕事をこなしている例も数え切れない。

もちろん柿が熟して自然に木から落ちてくるのを待つような我々の意思決定システムが、変革の時代に決定的に弱く、グローバル・メガ・コンペティションの現代にあっていよいよ機能不全に陥りつつあることは否定しようのない事実だが、だからといって自己表現、自己主張万能で議論上手、プレゼンテーション上手だけがいい目をみる「オレ様時代」が果たして本当に救世主みたいにありがたいものなのか、あるいは果たして我々の社会にフィットするのか。多くの日本人が、自分自身は熟柿主義にどっぷりと首までつかりながら、トルシエの遠慮のないオレ様ぶりに何となく憧れめいた気持ちを持つとき、そのアンビバレントな構造は一層明らかになってくるのではないか。

身の回りの帰国子女のはっきりした自己主張に反感を持ちながら、トルシエの協会批判には漠然とした共感を抱く。もしあなたがそんないい加減なメンタリティの持ち主なら、迷走しながらも赤鬼に代表監督を任せる決断を下したサッカー協会の方がよっぽどマシだし、少なくともあなたにヤツらを笑う資格なんてないってことだ。



Copyright Reserved
2000-2002 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com