logo 帰れキューバへ


武装した男に銃を突きつけられておびえる少年とその保護者らしい男。このあまりによく撮れた写真を見てこれは何かのパロディか映画のワンシーンだと思ったのは僕だけではないだろう。だがこれはパロディでも映画でもない。現実のできごとだ(それにしてもだれが撮ったのかと思うが)。これは例のエリアン君を親族の手から奪取するためにアメリカの司法当局が試みた強行突入の決定的シーンなのだ。

それにしてもたった6歳のキューバ人の少年がなぜこれほど世間の注目を集めるのか。いや、別に世間の注目を集めてる訳ではなくて、クリントン・スキャンダルやシンプソン事件の時のようにアメリカのメディアが勝手に騒いでいるだけという感も確かにあるのだが、ともかく武装部隊が6歳の子供の身柄を確保するために隠れ家に突入したのは紛れもない事実だし、それが国際問題化しかかっていることも確かなことだ。

だが不思議なことに、この問題についてキューバとアメリカの当局の間に利害の対立は少ない。要はエリアン君を親族から引き離し、キューバに住む父親に返せばそれで終わり、なのである。アメリカがエリアン君は政治亡命者だからキューバに身柄は渡せないと突っ張れば事態は複雑になっただろうが、6歳の子供が政治亡命というのはいかにも無理があるし、父親が返してくれと言っているのなら送還するしかない。アメリカも早く送還してすっきりしたい。ただでさえ微妙なキューバとの関係をこんなくだらない事件でこじらせたくないというのがアメリカの本音だろう。何しろアメリカはかつてキューバ(とソ連)のおかげで第三次世界大戦を始める直前まで追いこまれたのだ。

ではどうしてこの事件がこんな大騒ぎになってしまうのか。それはアメリカのキューバ難民社会がエリアンは亡命者だ、本人はアメリカで自由に暮らすことを望んでいるとダダをこねているからだ。そして大統領選挙を控えたアメリカの政界がそれを無視できないからだ。

亡命というのは、自国で政治的な理由から自由や生命の危機にある人が、やむなく他国に保護を求めることである。これに対して戦争などで住居を奪われ、自国を出ることを余儀なくされた人のことは難民と呼ぶ。生活が貧しいからという理由で自国を逃げ出すのはそのどちらでもない、ただの密入国であり、不法移民だ。発覚すれば自国に送還されるのは当たり前の話である。やるのは勝手だがそこから生じるリスクは自分で背負うしかない。

貧しいから、社会がよくないからといって祖国を逃げ出した人間が、他国で不法にその社会システムの庇護を受けるだけでもそこにはさまざまな摩擦が生じる。有り体に言えばキューバからの不法移民(不法移民はキューバからだけではないが)のおかげでアメリカ社会は大きな迷惑を被っている。それなのに、よその国の世話になり、迷惑をかけながら、その国の司法制度に従わない、ダダをこねるとは不届き千万な話ではないか。盗人猛々しいとはよく言ったものだ。6歳の子供をダシにして通らぬ理屈をこねているのはキューバ政府でもアメリカ政府でもない、アメリカのキューバ難民だ。強行突入に抗議して暴動だ? ふざけるんじゃない。国際社会はみんな迷惑しているのだ。この問題を政治問題化させることなく、難民の送還の問題として一般論的に処理しようとしているアメリカのやり方は疑いもなく正しい。

21世紀にあって国境はその実質的な意義を問われることになるだろう。越境者の問題、移民や難民の問題はその先鋭な表れとしてまず諸国の頭を悩ませることになるだろう。いや、アメリカやヨーロッパでは既にそうなっているし、のんきな島国の日本ですらそれは他人事ではなくなってきている。僕たちは外国人が当たり前のように近所に住んでいる時代に生きているし、それを考える上でエリアン事件はまたとないテキストだ。国際政治のルールが日常生活の局面にまで張り出してくる時代。少し真剣に考えた方がいい。


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