logo 人質にはなりたくない(2)


これは「人質にはなりたくない」の続編である。在ペルー日本大使館の人質事件がペルーの特殊部隊突入によって解決した97年5月にアップした。強行突入による人質の死亡者は1人で、他に突入した軍人に何人かの犠牲者が出た。ゲリラのグループは全員射殺された。その後フジモリ氏は大統領の座を追われて日本にいる。(2001.6.10)


ペルーの日本大使公邸人質事件がともかくも解決した。そのときドイツは夜の11時頃で、ニュースでもやっているかなと思って日本語放送をつけると、迫真の銃撃戦生中継が繰り広げられていたのである。もちろんフジモリ大統領が救出された人質と一緒にバスに乗り込むところまでじっくり見てしまった。

この武力突入による解決については、人質の犠牲が最小限であったということもあってか、当初はそれなりに好意的に迎えられた様子であったが、投降したゲリラまでを特殊部隊がその場で銃殺したことなどが報じられると、フジモリ大統領の強権的な政治手法に対する批判と相まって、一部に異論も高まっているようだ。

僕はまず、この武力突入による解決を基本的に支持する姿勢を明確にしておきたい。それは決して犠牲者が少なくてすんだからではなく、この武力突入が「テロは割に合わない」ことを明確に示す目的で、その前段階として平和的な解決を模索する手順を踏んだ上で、犠牲者を最小限にとどめるべく綿密な計画と情報管理の下に極めて冷静に実行されたことがうかがわれるからである。

投降した年少のゲリラまでもその場で銃殺したことは、確かに法治国家としてほめられたことではないにせよ、長期にわたった占拠事件の強行突入による解決という極限状態の中でのことであり、無責任に断じるのは僕としては好まない。それに国家の法による庇護を拒絶して暴力による秩序の破壊をもくろんだ者に、人権もクソもあったものかというのは極論だろうか(極論だろうな)。いずれにせよシニカルな言い方をすれば権利なんてものは所詮フィクションに過ぎないのだし、それは人間同士の利害を調整するためのすぐれて社会的かつテクニカルな概念なのだから、何か初めから人は人権を持って生まれてきたとでもいうような、ア・プリオリに人権の存在を前提とした、犯人の人権はどうなる式の物言いには僕は賛成しない。それはあまりに楽観的なファンタジーに過ぎないだろう。

時として僕たちには想像もつかないほどテロが身近にある国で、そのテロを封じ込めようと強権的な政策をとる大統領を批判するのはたやすいことだし、そこに起こる過ちや行き過ぎを自分の尺度で測るのは簡単なことだ。しかし実際にその環境に身を置いた訳でもなく、何の責任もない人間が、リスクを取って自らの国を改善しようとしている人間に対して発する言葉には、もともと何の重みもないということを僕たちは肝に銘じるべきだと思う。

帰国した青木大使は、公邸の警備が手薄だったのではとの質問に対して、仮に警備が厳重であったら、テロリストの襲撃を受けた際に、多くの犠牲者が出ていたかもしれないと答えたという。しかし傍目に分かるほど警備が厳重であったら、果たしてテロリストはそれでも襲撃を実行したであろうか。今となっては詮無い議論だが、青木大使の論法には率直に言って疑問を感じる。

それから日本人の安否ばかり伝える報道に異論も出ていた。もちろん程度の問題ではあろうが、僕たちの見ているのが、日本国内で行われる日本語の報道であり(僕が見てたのはちょっと違うけど)、それを目にして理解する人間のほとんどが日本人であることを考えれば、日本人の安否がまず優先順位の高いテーマであること自体はやむを得ないことだと思う。

今回は幸いにも最小限の犠牲者で事態が打開された。しかしテロは今後も起こるだろう。そして次の時には多くの犠牲者が出るかもしれない。僕たちは、テロは起こるのだという前提で、そのときにどうするかという問題を、テロにないときにこそ考えておかなければならない。



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