logo ゴジラ足跡探訪 呑川を歩く


土曜日の午後、散歩がてらゴジラの最初の上陸地点を見に行こうと思い立ち、京急に乗って蒲田駅に降り立った。

諸研究によれば、ゴジラは東京湾から多摩川河口に侵入、海老取川を経由して呑川を遡上し、京急蒲田駅をくぐり抜けてあやめ橋あたりから上陸、ここから進路を北にとって京急と京浜東北線の間を進み、品川あたりに至ったというのが定説のようであるが、今回は映画にもはっきり映し出された呑川近辺を見てみようと思った。

京急蒲田駅を東に出ると呑川と国道15号線が交差する夫婦橋に出る。ここから呑川に沿って東に、つまり東京湾に向かって進むことにする。

暑くはあるが既に9月、汗をかきながら散歩するには悪くない日和だ。川沿いの狭い通りを歩いて行くが行き合う人もほとんどない。一般住宅、町工場などがひしめく、生活感あふれる「町」の風情。ゴジラがここを遡ってきたのかなあ、この辺の人はみんなそれ知ってんのかなあ、と思いながら歩く。

河口まで歩こうとすると2km以上あり、公共交通機関はバスしかない地域で、行った分は歩いて帰るしかないようなところなので、どこまで深追いするかというところだが、できることなら河口というか海老取川との合流点までは行きたいと歩き続ける。

呑川新橋から下流

途中、川に架かる橋がある度に河口に向けて写真を撮ってみる。川の両岸にはプレジャーボートが数多く係留されており、ゴジラ(この段階では第二形態)は橋などの構造物やボートなどの浮遊物を片っ端から蹴散らしながら呑川を遡上してくる。映画の撮影場所と同じと思われるところから撮影したのがこのカットである。

撮影場所は産業道路が呑川を渡る呑川新橋。ここから東方向、つまり下流方向に向かって撮ったもの。右手の「半額」という看板が映画では「ジャック&サリー ねこ病院」という看板に改変されているが、ピンク色のイメージはそのままで、突き合わせの大きな手がかりになる。ゴジラは画面奥に見える橋を破壊し、塵芥を巻き上げながら暴力的に川を遡ってくる訳だ。

橋やボートなどがゴジラになぎ払われて川を逆流してくる様子は東日本大震災の津波の映像を強烈に喚起する。この映画の最もヤバいシーンのひとつである。このシーンを改めて経験することは我々が状況の当事者であることを確認する意味で必要だったのか。この場所に立つと震災の映像とゴジラの映像がひとつになって去来する。

この写真が取れたので満足し、暑かったこともあってここから呑川に沿って西に戻ることにする。「ここをゴジラが通ったんですよ。知ってますか」と道行く人に問いたい気分。帰りは呑川の北岸を歩いたが、八幡神社でちょうど祭りをやっていたり、生活感が濃密なのは同じ。このへんになると汗がだらだら流れるが、おかげで自分の肉体性というか実存性が確認できた感じで気分はいい。

呑川は国道15号線に続いて京急蒲田駅をくぐる。ゴジラはこの下をくぐったのか。映画には京急の車両がゴジラに吹き飛ばされ、台車だけが道路を滑って行く表現があったが、ゴジラが京急蒲田駅を通過する際のことであれば駅もまた破壊されたのか。幼生である第二形態のゴジラにとってはやや堅牢過ぎる構築物のようにも思えるが。

菖蒲橋から中之橋を望む

ゴジラはさらに西進、中之橋に乗り上げる格好で上陸し、そこから北に進路を変えてあやめ橋交差点から品川を目指したようだが、菖蒲橋から中之橋を臨んだのがこの写真だ。ゴジラは写真奥から川を遡上してきて、左手に上陸したと考えられる。京急蒲田駅から歩き始めて約1時間、さすがに疲れてコンビニで2本目のジャスミンティを購入した。

ゴジラの進路を追うのはここまでにして多摩堤通りをそのままJR蒲田駅まで歩いた。蒲田五丁目の交差点あたりを逃げ惑う人々のカットもあったと思うが、そこにはいつもの通り忙しく行き交う人の流れがあるだけで、ゴジラの足跡を思わせるものはなかった。当たり前だ。ゴジラは現実には来ていないのだから。

だが、あの強烈な映画を見てからこの場所を歩くと、何事もない平穏な風景の向こうに、ゴジラによって蹂躙されたカタストロフが脳内AR的に見えてくる。もちろんゴジラが現実の生き物である訳はないのだが、我々の現実がそうした脆く危うい虚実の皮膜の上にギリギリ成り立っているということ、一瞬の出来事で簡単に無に帰してしまうかもしれないということ、その感覚は映画と現実を重ねて見ることで一層明らかになったと思った。


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