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正直にいえば「HAYABUSA JET I」というアルバムはまだ僕のなかではっきりとした像を結んではいない。「再定義」という言葉もよくわからない。なぜ今、コヨーテ・バンドとして、新しいマテリアルではなくかつてのナンバーの「再生」に取り組む必要があるのか。 「リリックや演奏を可能な限り『今』に響かせる。そうすることで聴く世代に関係なく曲の真価を問う」というコンセプト自体は一般論として理解するものの、佐野元春が今やるべきことはそれなのか、そして「再定義」ははたして目論見どおりに実現されたのか。それを確認するために、暑い土曜日、南浦和まで足を運んだ。 しかし、結論からいうなら、ライブが終わっても釈然としない思いはまだ胸を去らなかった。なぜなら、アルバム「HAYABUSA JET I」を中心にコヨーテ・バンド以前のレパートリーで構成された第一部よりも、「今、何処」の収録曲を要所に配し、アルバム「Coyote」以降のナンバーでまとめた第二部の方がはるかに説得力があり、このバンドでなければならないという必然性が感じられたからだ。 極端かもしれないが第二部で演奏された『SOMEDAY』や『約束の橋』などのコヨーテ・バンド以前の曲は第一部でもよかったとさえ思う。僕が今聴きたいのは、2020年代という奇妙で入り組んだ、ディープ・フェイクの時代、すなわち僕たちが生きる「今、ここ」に対して、そこに最も欠けている自由やオープンさ、率直さやユーモアでレジスタンスを組織する詩人としての佐野元春の作品なのだ。 もちろん、コヨーテ・バンド以前の曲にも佐野の表現のそうした特質はもれなく具わっている。それは自明だ。しかし、それらの曲は一人一人のリスナーのなかに、長い時間をかけてそれぞれ固有の物語を形づくっている。それを壊したり、奪ったり、損なったりすることは何人にもできない。もちろん佐野元春自身をもってしても。 そうした「古い約束」を十分に省みながらも、時代性というほこりを払い、その表現をリニューアルして、そこにある堅い核を現代の精神のありようと同期させるのは簡単な仕事ではない。佐野が「再定義」という言葉でやろうとしたのがそういうことなら、それはまだ道半ばであるというほかなく、それがうまく行った曲もある一方で、そうでない曲も少なくなかった。 うまく行った曲の好例は『欲望』だ。バック・トラックをクールでアンビエントなアレンジに差し替えることで、この曲が内包する緊張感が、我々の社会に充ちた不寛容さや不誠実さ、ごまかしや真実の書き換えを告発するプロテスト・ソングへと昇華された。アルバムでも腹にずしんと来る硬質な手ざわりがあったが、ライブではすべてのものが一瞬動きを止めるような、知らん顔で通り過ぎることのできない当事者性がそこにあった。 それに比べるとアルバム「HAYABUSA JET I」の他の収録曲は食い足りない。オリジナル・シングル・バージョンのアレンジを忠実になぞり、そこに封印されていた生の実感への切実な希求を40年以上を経てようやく解放した『ダウンタウン・ボーイ』や、たぎる若き血潮をラウドで現代的なソウル・ミュージックに乗せて新しい世代に提示した『Young Bloods』はまだしも、それ以外の楽曲は、コヨーテ・バンドが「クラシックス」を演奏したという以上の新しい説得力を見出し難かった。 『君をさがしている』はHKBで聴かせたバーズ・マナーのフォーク・ロック・アレンジがこの曲の語りのナイーヴさをより鮮明に伝えていたのに比べて、ここでのアレンジはひきずように重く、そこにあるべき都市生活への憧憬や愛着を黒く塗りつぶしてしまったかのようだ。『約束の橋』はアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されたオリジナル・バージョンが歯切れのいいビートで時計を前に進めようとしていたのに対して、ここではドンドコしたイントロのドラムが武骨で野暮ったく、世界の懐に切りこむかのようだったこの曲本来の切っ先を曇らせている。 コヨーテ・バンドの音楽はもっとストレート・アヘッドでシンプル、そして鋭角的なものではなかったか。もっとフットワークが軽く、風通しのよいものではなかったか。僕にはこうしたチャレンジが、これらの曲を「今に響かせる」「真価を問う」ものにしたとはとても思えない。これが佐野の本意なのか。 45周年のツアーということで、コヨーテ・バンドのオリジナル・レパートリーだけでステージを構成するわけには行かない事情は察するが、こうした乖離感とでもいった思いが、このツアーのなかでどう超克され得るのか。ツアーのなかでそれが達成されたときに初めてアルバム「HAYABUSA JET I」は完成するのだろうと思った。 ライブの構成では、冒頭で上映された、佐野のデビュー以来を振り返る動画がよかった。バック・トラックになっていたポエトリー・リーディングの『Sleep』『再び路上で』『フルーツ - 夏が来るまでには』もうまくマッチしていた。また第一部終了後の休憩のあいだに上映された、佐野が山中湖畔でゾイを散歩させながらインタビューに答える動画も興味深かった。 『君をさがしている』で曲進行が狂い、同期音源やスクリーンの映像とズレるシーンがあった。初日としてはあり得る範囲のハプニングだが、ズレた結果、同期音源のガイドボーカルが聞こえてしまったのは興ざめだった。曲進行のズレは直後の『誰かが君のドアを叩いている』でもあったように思ったが、どちらの曲も最後はちゃんとつじつまを合わせて終わったのはバンドの20年の実績を見る思い。ただ同期音源の多用はライブの直接性やダイナミズムを損なう憾みがあって従来同様気になった。 2025 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |