主人公のロバート・メイトランドはある日、自動車で走行中にハンドルを誤って高速道路を飛び出してしまう。ケガは大したことがなかったが、彼が投げ出された場所は、高速道路に囲まれたインターチェンジの中の三角地帯であった。築堤と金網に閉ざされたその小さな世界は、最初の脱出への試みで足を傷めたメイトランドには決して抜け出すことのできない都会の中の孤島だった。
絶望的な脱出を試みるうち、メイトランドはその孤島にだれか自分以外の者が潜んでいることに気づく。情緒不安定な若い女、精神薄弱の初老のサーカス芸人とメイトランドの奇妙な駆け引きが始まる。
この物語の圧巻は、メイトランドが酔ったサーカス芸人に放尿して彼を侮辱し、彼らを支配するのに成功するシーンだろう。そのようにしてメイトランドはこの「島」の支配権を手に入れようとする。そして、彼の支配が芸人に、女に、島全体に及ぶにしたがって、脱出への具体的な欲求は次第に後退して行く。
この構造、災厄の裏側に潜む陶酔への傾きは初期の三部作と通底している。しかし、そこにあるのはもはや荒唐無稽な自然災害ではない。それはいつでも起こり得る交通事故という日常的なアクシデントの副産物だ。都会の中の盲点だ。オフィス街の植え込みで死んだまま何日も気づかれない浮浪者のように、我々の都市生活の中でそれぞれの無関心がぽっかりと口を開く異空間で繰り広げられる退行への甘美な誘惑だ。
読み進むに連れ、読者はメイトランドがこの島を脱出できないのは、彼が決して本心から脱出を願ってはいないからだということに気づくだろう。脱出が成功すれば彼はもはや脱出することができなくなる。この倒錯したパラドックスこそがこの物語の核心だ。
「ある意味で彼が自分に課した任務は無意味なものとなっていた。もはや島をぬけだしたいという切実な欲求はもっておらず、そのことだけでも、彼が島に対する支配を確立したことの証しであった」
芸人が死に、女が島を出て行ってメイトランドは一人になる。そして僕はメイトランドがこの島を出て行くことはないと悟る。そう、それはテクノロジーに囲まれた騒々しい現代社会に進んで捕らわれている僕たちの姿そのままなのだ。
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