太陽活動の活発化によって地球の電離層が破壊され、世界中の気温が上昇、極地の万年氷が融け始めたことで海面が上昇し、世界の海岸線はすっかりその形を変えた。温帯にあったかつての都市の多くはすっかり水浸しになり、人類の多くは極地近くに移住した。容赦なく降り注ぐ宇宙線によって生物の突然変異は頻繁になり、高温多湿な気候に適応して世界はジャングル化しつつあった。そんな世界で、かつてロンドンであった沼地に取り残された科学者、ロバート・ケランズを中心にこの物語は展開する。
ここではJGBはそのような気候変動上の説明を最初の数章で簡単に語るだけだ。ここで語られる多くは、そのような地球上の生物相の逆転によって呼び覚まされる我々自身の中の太古の記憶とそれに抗う術もなく飲み込まれて行く登場人物たちの内面の変容であり、生存可能な極地へ撤退するという冷静な判断よりも、迫り来るジャングル化の波の中で、朦朧とする高温の世界で夢うつつのような凝縮した時間を過ごすことを選ばずにいられない、内面にある未知の領域への傾きである。
地球の高温下とか海面の上昇とかはJGBにとってはただの舞台装置に過ぎない。そして、ここで描かれる人物は、困難な状況に当たってそれに前向きに取り組み、それを打開しようと努力する主体的、啓蒙的な人物像ではない。これは前作「狂風世界」と大きく異なる点だ。ケランズをはじめ、ここに登場する人物の多くは自然の変容に際してそれを受け容れ、それに呼応する自分自身の変化に身を委ねようとする。ここにおいてJGBは、活劇SFのステロタイプな人間描写から、SF的風景を起点にしてこそ描き得る「内的宇宙(インナースペース)」の奥行きを獲得したのだと言っていい。
もうひとつ特筆しておかなければならないのは、水の底に沈んだロンドンのプラネタリウムに潜水服を着けて潜って行くシーンの美しさと不気味さだ。そのイメージ喚起の強力さ、ホースから送られてくる空気が止まる場面の息苦しさ、この現実にはあり得ない光景のリアルさは、小説家としてのJGBの実力の確かさを示している。
後半、美術品をサルベージする海賊の出現によってやや活劇的に流れる憾みもあるが、そこでも人物造形は巧みで物語を損なうことはない。今日に至るJGBワールドの実質的なスタートとなった作品である。
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