logo JGB長編レビュー 1961-1966


ここで取り上げるのはJGBの処女作「狂風世界」から1966年の「結晶世界」までの、初期長編4作である。このうち、「沈んだ世界」、「燃える世界」、「結晶世界」は破滅三部作とも呼ばれ、JGBの作家としての地位を確立したものと言われている。なぜ年代的にも連続した「狂風世界」だけがそのラインナップに数えられていないかということは、これらの作品を読み比べてみれば分かるだろう。考えてみれば今から40年以上前の作品ばかりだが、そこに描かれた世界はいささかも古びていないばかりか、その重要性はますます増していると言ってよい。JGBの世界に対する眼差しの原点であり、結局僕たちはその視線から逃れられないのだ。


The Wind From Nowhere 狂風世界 1961 (創元SF文庫 宇野利泰・訳)

JGBの記念すべき処女作である。徐々に速度を上げた風が世界中を駆けめぐり、地上の建物はどんな堅牢なものでも瓦解を余儀なくされる。都市は崩壊し、人々は烈風を避けて地下に生活の場を求めるが、風は地表の土砂を巻き上げ、川や海の水分も吹き上げて地上を荒れ地に変えて行く。そうした絶望的な状況の中で過酷な運命に翻弄される何人かの主人公の群像劇が本作である。

こうした筋立て自体はその後の「破滅三部作」と共通しているようにも思われる。しかし、本作がそれらの作品と決定的に異なっているのは、こうした危機に直面した人間の内面の変容や崩壊が描かれることなく、小説全体がハリウッド的なパニック・ドラマの視点にとどまっていることである。メイトランド、マーシャル、ラニヨンといった登場人物の造形は比較的はっきりしており、それぞれ魅力的に描かれてもいるが、ここでの自然の突然の変心は彼らの心のありようとは必ずしも連動していない。

突然風が吹き始めた理由について科学的な説明が一切ない点など、旧来の「空想科学小説」から逸脱して行くJGBの傾向は既に現れているし、メイトランドの妻が廃墟になった高層住宅に一人居残り、助けに赴いたメイトランドの眼前であっさりと狂風にさらわれて落下して行くシーンなどはJGBの面目躍如といった感はある(自然の驚異と内面の連動性という意味ではこの妻が唯一JGB的な人物像の先駆である)。しかしながら、終盤に至ってハードゥーンなる人物の築いたピラミッドが唐突に現れるところや、理由も示されないままなぜか風が収まって行くことを示唆するラストなど、小説的に未熟な点や予定調和に流れる点もあり、JGBにして最初期にはそうした「活劇SF」の枠に捕らわれざるを得なかったのが興味深い。

典型的なJGBワールドを楽しむには適さない作品だが、その出発点としての価値は失われないと言うべきだろう。
 

 
The Drawned World 沈んだ世界 1962 (創元SF文庫 峰岸久・訳)

太陽活動の活発化によって地球の電離層が破壊され、世界中の気温が上昇、極地の万年氷が融け始めたことで海面が上昇し、世界の海岸線はすっかりその形を変えた。温帯にあったかつての都市の多くはすっかり水浸しになり、人類の多くは極地近くに移住した。容赦なく降り注ぐ宇宙線によって生物の突然変異は頻繁になり、高温多湿な気候に適応して世界はジャングル化しつつあった。そんな世界で、かつてロンドンであった沼地に取り残された科学者、ロバート・ケランズを中心にこの物語は展開する。

ここではJGBはそのような気候変動上の説明を最初の数章で簡単に語るだけだ。ここで語られる多くは、そのような地球上の生物相の逆転によって呼び覚まされる我々自身の中の太古の記憶とそれに抗う術もなく飲み込まれて行く登場人物たちの内面の変容であり、生存可能な極地へ撤退するという冷静な判断よりも、迫り来るジャングル化の波の中で、朦朧とする高温の世界で夢うつつのような凝縮した時間を過ごすことを選ばずにいられない、内面にある未知の領域への傾きである。

地球の高温下とか海面の上昇とかはJGBにとってはただの舞台装置に過ぎない。そして、ここで描かれる人物は、困難な状況に当たってそれに前向きに取り組み、それを打開しようと努力する主体的、啓蒙的な人物像ではない。これは前作「狂風世界」と大きく異なる点だ。ケランズをはじめ、ここに登場する人物の多くは自然の変容に際してそれを受け容れ、それに呼応する自分自身の変化に身を委ねようとする。ここにおいてJGBは、活劇SFのステロタイプな人間描写から、SF的風景を起点にしてこそ描き得る「内的宇宙(インナースペース)」の奥行きを獲得したのだと言っていい。

もうひとつ特筆しておかなければならないのは、水の底に沈んだロンドンのプラネタリウムに潜水服を着けて潜って行くシーンの美しさと不気味さだ。そのイメージ喚起の強力さ、ホースから送られてくる空気が止まる場面の息苦しさ、この現実にはあり得ない光景のリアルさは、小説家としてのJGBの実力の確かさを示している。

後半、美術品をサルベージする海賊の出現によってやや活劇的に流れる憾みもあるが、そこでも人物造形は巧みで物語を損なうことはない。今日に至るJGBワールドの実質的なスタートとなった作品である。
 

 
The Drought (The Burning World) 燃える世界 1964 (創元SF文庫 中村保男・訳)

前作が熱帯化し水の底に沈んだ世界なら、本作は海面を覆った分子膜のために水分が蒸発しなくなり、雨の降らなくなった世界を舞台にしている。

ここでも世界を襲う未曾有の乾燥の原因についても、序盤で通り一遍の説明が行われるだけだ。登場人物たちはその原因を探ろうとする訳でもなく、また、その災厄を克服して元通りの世界と取り戻そうと努力する訳でもない。物語は、雨が降らず、水が極端な貴重品になるとともに、旧来の政治秩序までが崩壊し、海辺に多くの人が寄り集まって海水を蒸留してわずかな飲み水を得ている「災厄後」の世界を所与の前提として、そこで生きる人たちの陰鬱な群像を描いている。

文庫本のうたい文句には「奇才バラードが描く自然と人間との闘争」とあるが、この本のどこを読んでも自然との「闘争」などありはしない。主人公のランサム医師を初めとして、ここに登場する人たちは皆、大旱魃という未曾有の驚異に対して何か積極的、主体的な行動を起こす訳ではないからだ。彼らはただ、わずかな水をめぐって相争い、殺し合うだけだ。そこには小説的な高揚はない。感動も、浄化もない。息苦しくなるような灼熱の乾いた世界で、いびつな人間の姿が描かれて行く。

「沈んだ世界」の登場人物が、熱帯化する世界の様相に呼応して遺伝子の中の記憶を呼び起こされ、退化する世界に抗い難く惹かれて行くように、ここでの登場人物たちもまた自ら、海岸でわずかな水を奪い合う生活を捨て、砂漠への旅に出て行く。そこには水脈を探しに行くという名分はあるものの、その成果の疑わしい試みよりは、むしろ彼らが自らの内側に広がる乾いた砂漠へと踏み出すことの方に主眼があるようにすら思われる。

干上がった川のモチーフは「奇跡の大河」に、閉じた世界の中で神性をすら感じさせる白痴の造形は「コンクリート・アイランド」や「クラッシュ」に引き継がれて行く。読むことで神経の一部がすり減るようなタフな小説であり、読んでも全然楽しくはないが、それでもここに僕たちを引きつける何かがあるのだとすれば、それはここに描かれた干上がった世界、砂漠と化した世界のイメージが僕たちの中にある砂漠とどこかでつながっているからだろう。
 

 
The Crystal World 結晶世界 1966 (創元SF文庫 中村保男・訳)

仮に「沈んだ世界」からこの「結晶世界」までを「終末三部作」と呼ぶのなら、この「結晶世界」こそはその中でもこの時期のバラードの嗜好、特徴を最も如実に表しているものだということができる。そしてそれは同時に、この時期のバラードの作品の中でも最も美しく、またそれゆえ最も優れた作品となっていると言ってもいいだろう。

主人公のサンダース医師がアフリカの街で目にしたものは、あらゆるものを水晶のような結晶に変える美しくも不気味な自然現象だった。そこでは森の岩や木々はおろか、人間までもが氷のような、水晶のような結晶と化してしまうのだ。

ここでもまた、その現象に対する科学的な説明はほとんど行われない。唯一与えられる説明は「時間と空間の結婚」、我々の「残り時間」が枯渇しかけており、すべての物質は水晶化して時間のない世界へ自閉しようとしているというのだ。これはもはや古典的な意味でのSFではない。与えられた説明は科学的であるというより文学的であり、ここで書かれているのもまた科学活劇ではなく、むしろそのような「時間の墓場」に近づこうとしている人間の心の中に必然的に訪れる変容のドラマである。

その意味でこの作品は「沈んだ世界」や「燃える世界」が指し示した方向をさらに推し進め純化したものであると同時に、甘美な滅びのロマンティシズムを「すべてが結晶化する世界」という秀逸な着想を得ることによって、目もくらむような喚起力で描ききった傑作である。自らが結晶化することはとりもなおさず死を意味するのにもかかわらず、結晶化した森に宿命的に惹かれて行く登場人物たち。結晶化することは現世での死を意味する一方で、別の形での不死をもたらしてくれるものなのだろうか。様式化された死へのある種の憧れはこの後もバラードの小説世界の底流をなす大きなモメントとなって行く。

主人公は最後に結晶化の嵐が吹き荒れる森へと戻って行く。卓越した着想と高い小説的展開力が見事に溶け合ったバラードの代表作の一つであり、発表から40年経った現在でもまったく色あせることのないSFの金字塔である。
 



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