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彼女の思い出/逆さまの森
金原瑞人 訳
2022 新潮社


■ 彼女の思い出
■ ヴァリオニ兄弟
■ おれの軍曹
■ ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない
■ すぐに覚えます
■ ふたりの問題
■ 新兵に関する個人的な覚書
■ ブルー・メロディ
■ 逆さまの森
   


このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」に続き刊行された、金原瑞人の翻訳によるサリンジャーの短編集。サリンジャーが公式に刊行を許した4冊の書籍に収録されなかった中短編22編のうち、「このサンドイッチ…」で取り上げなかった9編を収めている。

「このサンドイッチ…」に比べると収録作の出来にバラつきがある感は否めないが、「ヴァリオニ兄弟」や「ブルー・メロディ」、中編と呼べる長さの「逆さまの森」などは力のある作品で、新訳で世に出ることには意義があると言っていい。

「彼女の思い出」や「ブルー・メロディ」は発表年代から見て「ナイン・ストーリーズ」に収められていてもおかしくない作品であり、なぜそこから外されたのか考えてみるのも面白い。まあ、ここまで取り上げたのなら、残りの4遍も訳してしまえばよかったのにとは思う。



A Girl I Knew (1948)

若い頃ウィーンに遊学し、同じアパートに住むユダヤ人の娘リアと淡い情を交わした男が、アメリカ軍の兵士として再び当地に赴き、彼女がナチスによって殺されたことを知るという物語。サリンジャー自身がユダヤ系であることを考え合わせれば、複雑な感情がその背後にあってしかるべきだろうが、ここではそのような感情的な抑揚は見られず、ただ、淡々とリアとのぎこちない会話と、後日アパートを訪れた際のエピソードが語られる。
だが、この物語がいささか焦点を欠いたものになっているのは、前半の、ウィーンに渡りリアと知り合って別れる経緯の描写がコミカルで、主人公に今ひとつ感情移入しにくいせいだろうか。そこにリアに対する真摯な思いがあるのかどうかが分かりにくく、後半でリアの消息を訪ね歩く彼の行動にも説得力が今ひとつ伴わない。あるいはサリンジャーはこの作品が政治的なシリアスさを帯びることを避けるために敢えてそうしたのだろうか。


The Vorioni Brothers (1943)

天才的な作曲家である兄と、同様に天才的な物書きの弟の物語。弟は大学で教鞭を執りつつ小説を書いているが、兄の作品が認められたとき作詞家として兄とともにデビューする。やがて弟は自分の作品を書くため兄から離れようとするが兄が彼の才能を手放そうとしなかったために果たせず、あるとき兄と間違われ殺されてしまう。真面目な弟に対して兄は放蕩であり、博打の借りを返していないためにヤクザ者から狙われていたのだった。
物語は、弟を殺されてすっかり消沈した兄が、世間から姿を消し、弟がさまざまな紙の切れ端に書き残した物語をひとつにまとめるという迂遠な作業に半生を捧げるという形で収束している。しかし、サリンジャーがそこで書きたかったのは、兄の贖罪の物語よりは、世俗なるものが純粋な結晶のような才能、無垢な輝きを暴力的に損なって行くプロセスの方ではないだろうか。初期短編の中でも間違いなく最も重要な作品のひとつである。


Soft Boiled Sergeant (1944)

語り手のフィリーが軍隊で出会った「やさしい軍曹」のことを回顧するという物語。軍曹はバークさんという名で、新兵として入隊しベッドに腰かけて心細さに涙していた16歳のフィリーにバークさんが声をかけたエピソードだ。バークさんは若きフィリーに大事な勲章を見せてくれる。見せてくれるだけではない、それをつけてみろという。そしてそれをしばらく貸してくれる。そのようにしてフィリーは何とか軍隊への入口を通過できた。
やがて転属でフィリーはバークさんと別れる。そして何年かしてバークさんが真珠湾で戦死したことを知る。それは英雄的な死に方だった。「バークさんみたいなひとは、一生涯えらい人間で、――本当にえらい人間でありながら、せいぜい二十人か三十人くらいの男しか、そのことに気がつかないんだ」。人知れず存在する美しさと、それが直面する困難さについて描こうと試みた点では重要だが、技法が追いつかず感傷に流れたのが残念。


The Heart Of A Broken Story (1941)

ホーゲンシュラークなる31歳の印刷工がシャーリーという魅力的なヒロインと巡り会うラブ・ロマンスをいかにしたら構築できるかという作家のストーリー・テリングの内幕を皮肉っぽく書きつけた「反小説」。巷にあふれるラブ・ロマンスのあまりにご都合主義的で不自然な描写を揶揄しながら、さまざまな出会いのパターンを示しては、あれもダメ、これもダメ、だから私はラブ・ロマンスが書けなかった、と結ぶある意味楽屋落ちの作品。
「これがわたしがコリヤーズ誌のためにラヴ・ロマンスを書けなかった次第である。ラヴ・ロマンスにあっては、男が女に会うことがつねに必要なことだからである」というのがサリンジャーの言い分で、解説によれば「コリヤーズ」とは上述のようなO・ヘンリー的ショート・ショートを中心に掲載していた雑誌らしい。本作自体は「エスクワイア」に発表されたもののようだ。技巧としては面白いが作品としてはどうということのないもの。


The Hang Of It (1941)

覚えが悪くいつもへまばかりしている新兵の物語。語り手の息子が徴兵されたことから、語り手はかつての間抜けな新兵のことを語り始める。その新兵ペティットは軍曹の指示をことごとくやり損なう。軍曹に罵倒されたペティットは繰り返す。「じき要領をおぼえます」。そしてこう付け加える。「じきにのみこみます。嘘じゃありませんよ。本当にぼく軍隊がだいすきなんです。いつか大佐かなにかになってみせます。嘘じゃありません」。
物語は現在に戻る。語り手の息子は当時のペティットを思わせる間抜けだ。そして彼を教育しているのはペティットを罵倒していたのと同じ古参軍曹であることが示唆される。さらに、物語の最終盤で、語り手が大佐であることも示され、要は語り手自身がペティットであったという結末になっている。O・ヘンリー的に落ちのついたショート・ショートであるが、アイデアはありきたりで、それ以上でもそれ以下でもない、凡庸な作品である。


Both Parties Concerned (1944)

ビリーとルーシーという若い夫婦の痴話喧嘩を題材とした物語で、ビリーの視点からくだけた調子で語られる形式になっている。二人はどちらも未熟な若者で、考えが一面的である上、互いの心情に対する省察も欠けているために(まあ、若いときには当たり前なのだが)すぐにすれ違ってしまう。ビリーとルーシーが二人でクラブに出かけるが些細な行き違いから諍いになり、ルーシーのご機嫌を損ねてしまう下りの描写なんかは見事だ。
若さゆえの浅薄さから発するコミュニケーション・ブレイクダウンを描くという意味では、中期以降のサリンジャーの重要な作品群とも共通するモチーフを扱っているようにも思えるが、この作品がその域に達していないのは、語り手であるビリーに、例えば後のホールデン・コールフィールドのような、浅薄さを埋め合わせて余りある若さ故の美質、端的に言えばイノセンスが見出せず、ただ考えの足りない若者にしか見えないからだろう。


Personal Notes On An Infantryman (1942)

『The Hang Of It』と同様、落ちのついた掌編であり、やはり世相を映じてか軍隊でのエピソードとなっている。陸軍の歩兵部隊で事務を務めている語り手の元に入隊希望者がやってくる。名はロウラー。彼は40代半ばで軍需工場の技師長をしているのだという。新兵には明らかに年かさすぎる。「私」は入隊を思いとどまるようそれとなくロウラーに促すが彼は聞かない。ロウラーの妻からも電話がかかってくるが、結局ロウラーは入隊する。
彼は優秀な新兵になり、最終的に外地に送られて行く。そして最後に、ロウラーが「私」の父親であり、ロウラーの妻が(当然だが)「私」の母親であることが明かされる。だから「私」はロウラーを入隊させたくなかったのだし外地に送りたくもなかったのだ。苦労の後は窺えるがいかにも取ってつけたような話であり、サリンジャーの作品としてはもとより、このタイプのショートショートとしての出来もよくなく、顧みるに値しない作品。


Blue Melody (1948)

『A Girl I Knew』と同じく、発表順からいえば「ナイン・ストーリーズ」に収められたいくつかの短編より後に位置する作品だが、サリンジャーが敢えて選ばなかったもの。チャールズという黒人が経営するパブに入り浸る白人少年が、チャールズとその妹リーダらとともにピクニックに出かける。だが、そこでリーダは急に盲腸炎で苦しみ始める。彼らはリーダを病院に連れて行くが、黒人だということで冷たく追い返されるという物語。
もちろん黒人差別に対する鋭い告発であり得るが、この作品でサリンジャーが描きたかったのは、自分を取り巻く世界に対する少年期の楽観的な眼差しが瓦解する瞬間の深い喪失感であり、イノセンスを暴力的に損なって行くものへの耐え難い憤りである。そしてそこにおいて黒人差別というあまりに具体的で政治的なテーマはかえってその憤りの純粋さを逆に曇らせると考えたからこそ、サリンジャーはこれを短編集に収録しなかったのだ。


The Inverted Forest (1947)

中編と呼び得る分量を備えた作品であり、サリンジャー本人が顧みない初期作品の中で間違いなく最も重要なものである。主人公のコリーンは裕福な家庭に生まれ育ち、今はニュース雑誌の記者である。彼女はある時、幼い頃に思いを寄せながら離ればなれになり消息も知らなかった少年レイモンドが、今や将来を嘱望される詩人になっていることを知り、彼に連絡を試みる。彼らは再び巡り会い、やがて結婚、二人で暮らし始めることになる。
だが、その幸せは長くは続かない。詩を学ぶ女子学生と称するメアリーがレイモンドを籠絡し、レイモンドはメアリーと駆け落ちして姿を消す。コリーンはレイモンドがメアリーと暮らす家を探し当てて乗り込むが、そこにいたのはすっかりメアリーに支配され、詩人としての輝きも失ったレイモンドだった。レイモンドは自分と一緒に帰って欲しいというコリーンの願いを拒絶する。コリーンは一人レイモンドとメアリーの家を立ち去る。
ストーリーだけを見ればありふれたメロドラマのようにも思える。しかし、もちろんここでの主題は単なる不倫譚や駆け落ち譚ではない。『The Vorioni Brothers』でも描かれていたように、ある種の天才がいかに傷つきやすく病んだ心と隣り合わせにあるものか、そしていかにしてそれが世俗的なるものによって多くの場合無造作に損なわれて行くものか、サリンジャーはレイモンドの哀れな精神を描くことでそれをはっきりと指摘している。
もちろんメアリーがレイモンドをダメにしてしまった訳ではない。彼の中には初めからそのような傾向が潜在していたのだ。「彼は二度と見られないような最もひどい精神病だよ」とコリーンの男友達は結婚を思いとどまるように忠告する。そのような精神が早晩何らかの形で損なわれることは必然だった。そして、それはこの後書かれることになるグラス・サーガの主題、特に長兄シーモアのエピソードと究極において呼応することになる。



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