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Hapworth 16, 1924 ハプワース16、一九二四 (1965) 訳:原田敬一

結果としてサリンジャーの生前に発表された最後の作品となった。前作「シーモア―序章―」から6年のインターバルの後に発表されているが、前作で既に顕著だったストレートな「物語」からの逸脱は一層強まり、ここではシーモアが7歳の時に弟バディと一緒に参加したサマー・キャンプから家族に宛てた手紙の形式を取っている。冒頭で語り手であるバディがその事情を簡単に明かす他は最後まで幼いシーモアの手紙が延々と続いて行く。

もちろん幼いとはいえグラス家の精神的支柱である早熟の天才少年シーモアのことであるから、その筆致はまったく7歳児の拙い作文である訳もなく、キャンプで彼を取り巻く周囲の人たちに対する鋭く峻厳でありながら寛容な観察や、人間存在についての形而上的な考察や、家族に対する愛情、そして送って欲しい書籍の一覧などが、大人びた、いや、並の大人よりもよほどしっかりとした文章で紆余曲折を経ながら書き記されるのである。

興味深いのはシーモアが「この古い雑誌にはぼくの親友、はっきり言えば前世で文通していた仲なんだ、ウィリアム・ローワン・ハミルトン卿の記事が出ているんだ」とはっきり書いていることだ。ここに至ってシーモアの天才は単純に認識的なものではなく超越的なモメントを含んだものであるというサリンジャーの見立てが明かされる。それは即ち輪廻転生がグラス・サーガにおいて所与のものであり、中心的な主題であるということだ。

それは「死ぬのってただ単に体から出るだけなのに。だってみんな、いままでに何千回もやってるんですよ」という「テディ」での死生観と相まって、シーモアの自殺が単なる不適応ではなく何らかの運命的なものであったことを示唆する。しかしこの魅力的な家族史が最終的に東洋かぶれの輪廻転生譚に貶められたことには僕は強い幻滅を感ずる。この時点でサリンジャーは後退不能のデタッチメントに絡め取られていたのではないだろうか。



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