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Slight Rebellion Off Madison マディソン街のはずれの小さな反抗 (1946) 訳:渥美昭夫

「若者たち」所収の『I'm Crazy』と同様、ホールデン・コールフィールドを主人公にした短編で『ライ麦畑』の原型をなすものだが、こちらは三人称で語られている。物語は学校の寄宿舎からニューヨークに帰ったホールデンがサリーを劇場に連れ出した揚げ句、言い争いで気まずい雰囲気になり、いったん彼女を家に帰したあと、夜中遅くに彼女に電話をかけてくどくどと繰り言を重ねるというもの。形を変え『ライ麦畑』に収められた。
ここでは「仕事をみつけて小川のほとりかなんかに住もうよ」というホールデンの重要な「将来観」が語られる。もちろんそれはナイーブすぎる夢想に過ぎないが、大人の世界に入って行くことへの恐怖と嫌悪は『I'm Crazy』にも増して一層はっきりと表れている。大学を出て結婚してからならどこにでも行けるというサリーに「そうなったら、ぜんぜん意味が違ってきちゃうよ」と答えるホールデン。この会話ですべてが語られている。

A Young Girl In 1941 With No Waist At All 大戦直前のウェストの細い女 (1947) 訳:渥美昭夫

ある男性と婚約し、その母親(将来の姑)と二人で長期の船旅を楽しんでいる若い女性が、船で知り合った青年に口説かれ、婚約の破棄を決意するという物語。船の寄港地に上陸して束の間のデートを楽しむ彼らの背後には戦争の色濃い影が忍び寄っている。見通し難い将来を前に、彼らも、そして彼女からの婚約破棄の申し出をあっさり受け入れた婚約者の母親も、自分たちの判断とか責任とかに対する自信を失っているように見える。
もちろん、この女性が船の中で知り合った青年と円満に交際を始め、継続することができるかは別の問題である。それはここではどうでもいいことだ。ここでは、彼女が青年と向かい合い、自分の言葉で語ろうとする中で、自己決定という単純なルールを身につけたことが重要であり、そのための物語である。もっとも、作品としては主題に対して入れ物が冗長であり、ポイントが絞り切れていない憾みがある。必ずしも印象は強くない作品。

A Girl I Knew ある少女の思い出 (1948) 訳:渥美昭夫

若い頃ウィーンに遊学し、同じアパートに住むユダヤ人の娘リアと淡い情を交わした男が、アメリカ軍の兵士として再び当地に赴き、彼女がナチスによって殺されたことを知るという物語。サリンジャー自身がユダヤ系であることを考え合わせれば、複雑な感情がその背後にあってしかるべきだろうが、ここではそのような感情的な抑揚は見られず、ただ、淡々とリアとのぎこちない会話と、後日アパートを訪れた際のエピソードが語られる。
だが、この物語がいささか焦点を欠いたものになっているのは、前半の、ウィーンに渡りリアと知り合って別れる経緯の描写がコミカルで、主人公に今ひとつ感情移入しにくいせいだろうか。そこにリアに対する真摯な思いがあるのかどうかが分かりにくく、後半でリアの消息を訪ね歩く彼の行動にも説得力が今ひとつ伴わない。あるいはサリンジャーはこの作品が政治的なシリアスさを帯びることを避けるために敢えてそうしたのだろうか。

Blue Melody ブルー・メロディー (1948) 訳:渥美昭夫

『A Girl I Knew』と同じく、発表順からいえば「ナイン・ストーリーズ」に収められたいくつかの短編より後に位置する作品だが、サリンジャーが敢えて選ばなかったもの。チャールズという黒人が経営するパブに入り浸る白人少年が、チャールズとその妹リーダらとともにピクニックに出かける。だが、そこでリーダは急に盲腸炎で苦しみ始める。彼らはリーダを病院に連れて行くが、黒人だということで冷たく追い返されるという物語。
もちろん黒人差別に対する鋭い告発であり得るが、この作品でサリンジャーが描きたかったのは、自分を取り巻く世界に対する少年期の楽観的な眼差しが瓦解する瞬間の深い喪失感であり、イノセンスを暴力的に損なって行くものへの耐え難い憤りである。そしてそこにおいて黒人差別というあまりに具体的で政治的なテーマはかえってその憤りの純粋さを逆に曇らせると考えたからこそ、サリンジャーはこれを短編集に収録しなかったのだ。

The Inverted Forest 倒錯の森 (1947) 訳:刈田元司

中編と呼び得る分量を備えた作品であり、サリンジャー本人が顧みない初期作品の中で間違いなく最も重要なものである。主人公のコリーンは裕福な家庭に生まれ育ち、今はニュース雑誌の記者である。彼女はある時、幼い頃に思いを寄せながら離ればなれになり消息も知らなかった少年レイモンドが、今や将来を嘱望される詩人になっていることを知り、彼に連絡を試みる。彼らは再び巡り会い、やがて結婚、二人で暮らし始めることになる。
だが、その幸せは長くは続かない。詩を学ぶ女子学生と称するメアリーがレイモンドを籠絡し、レイモンドはメアリーと駆け落ちして姿を消す。コリーンはレイモンドがメアリーと暮らす家を探し当てて乗り込むが、そこにいたのはすっかりメアリーに支配され、詩人としての輝きも失ったレイモンドだった。レイモンドは自分と一緒に帰って欲しいというコリーンの願いを拒絶する。コリーンは一人レイモンドとメアリーの家を立ち去る。
ストーリーだけを見ればありふれたメロドラマのようにも思える。しかし、もちろんここでの主題は単なる不倫譚や駆け落ち譚ではない。『The Vorioni Brothers』でも描かれていたように、ある種の天才がいかに傷つきやすく病んだ心と隣り合わせにあるものか、そしていかにしてそれが世俗的なるものによって多くの場合無造作に損なわれて行くものか、サリンジャーはレイモンドの哀れな精神を描くことでそれをはっきりと指摘している。
もちろんメアリーがレイモンドをダメにしてしまった訳ではない。彼の中には初めからそのような傾向が潜在していたのだ。「彼は二度と見られないような最もひどい精神病だよ」とコリーンの男友達は結婚を思いとどまるように忠告する。そのような精神が早晩何らかの形で損なわれることは必然だった。そして、それはこの後書かれることになるグラス・サーガの主題、特に長兄シーモアのエピソードと究極において呼応することになる。



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