logo 第5回殿堂入りアルバム


DEFINITELY MAYBE Oasis (1994)

初めてオアシスの曲を聴いたとき、この当たり前のロックンロールのどこがそんなにすごいのだろうかと思ったものだ。クリエイション・レーベルの「最終兵器」として鳴り物入りでデビューしたバンドだったのでシングルもきちんと英国盤で揃えて律儀にフォローしていたのだが、このあまりにまともで何の変哲もないロックンロールのどこが90年代型なのか僕にはさっぱり理解できなかったのだ。偶然MTVで彼らのクリップを「再発見」するまで、このアルバムは僕のCDラックで忘れ去られていた。

それは「Whatever」という曲のクリップだった。ストリングスを導入し、露骨にビートルズを意識したアレンジに、僕は大笑いしながら膝を打った。これはいける、これはすごいと。それから「Some Might Say」、「Roll With It」と立て続けに「まんまビートルズ」な曲で地歩を固めて行く彼らのサクセス・ストーリーを目の当たりにしながら、長い間聴いていなかったこのアルバムを引っ張り出してみたら、何のことはなかった、「初めっから全部ここにあった」のだ。なんや、これやったんや、と。

もう最初っから最後まで全部シングル・カットみたいな調子のいいロックンロールのオンパレードだ。こんなに調子よくていいのか、ていうかロックとしての批評性はどこにあるんやという感じももちろんするんだが、構うことはない、この批評性のなさが批評性なのだ。労働者階級のエモーションを直撃する泣きの入ったメロディ、それはロックンロールが最もベタな意味で肉体性を再獲得した証なのだ。乾いた砂地に水がしみこむように効いてくる、結構僕たちが忘れていたロックンロールのマジック。
 

 
A LONG VACATION 大滝詠一 (1981)

南の暑い日差しを受けて光る海を見ながらテラスでビールを飲むとき、自分の中から日常の意味あいがゆっくりと溶け出し、その代わりに今ここにいること、ここまでたどり着いたことを肯定できるような気分に包まれる一瞬がある。その時、僕たちは確かに生活から隔絶されているし、そこでは異なった種類の時間が流れている。「バカンス」という言葉が指し示すものの中核が、そのような日常の位相の変容を必然的に内包しているとするなら、それはもはや単なる「お休み」ではあり得ない。

なぜならバカンスを経験することで僕たちの「日常」概念は相対化され、僕たちは時間の流れ方にいくつもの種類があることを知ることになるからだ。優れたリゾート・アルバムは、日常を慰撫するよりは、それを異化するものとして機能しなければならない。そこでは、日常の物語を慰安するための別の物語ではなく、焼き付けられたような強い「シーン」によって、物語そのものが否定されて行かなければならないのである。それが、バカンスの意味であり、リゾートの存在価値に他ならない。

このアルバムで大滝詠一が積み重ねた一音一音は、そのような強さに満ちている。それは大滝の試みが正当に認められず、音楽を愛するがゆえに苦労を重ねなければならなかったことへのリベンジであろう。大滝にとっては、それまでだれも作らなかったような美しいポップ・アルバムを作ること、そしてそれがヒットすることが、移り気で浅薄なリスナーに対する、会心の一撃であったのだと思う。大滝の音楽に対する深い愛情と、あまのじゃくな反骨精神が起こした奇跡的な化学反応。
 

 
PILLS'N'THRILLS AND BELLYACHES Happy Mondays (1990)

エクスタシーをキメて24時間パーティー、なレイブ、マッドチェスター・ムーヴメントの落とし子にしてはまったく高揚しないアルバムだ。淡々と流れ続けて行くルーズなビート、これといってサビもなく佳境を迎えることのないまま歌いっ放しのメロディ、投げやりなショーン・ライダーのボーカル。「息子よ、よく聞け、オレがオマエのママと結婚したのはあいつがヤリマンだったからってそれだけのことだ」。ハッピー・マンデイズという悪い冗談みたいな名前のバンドが奏でるバッド・グルーヴ。

だがこのアルバムが歴史に残る名盤なのは、そこにグルーヴやダンスというものに対する信頼がまったくないからこそだ。24時間のパーティーでクラブの中に雨が降るくらいダンスに明け暮れても、それが何も生み出さないまったくの消費としての熱狂であり、自分たちの音楽はその憂鬱なダンスのために垂れ流される使い捨てのインスタント・グルーヴだという徹底して醒めた確信だけが、ここまでカラカラに乾き、荒みきったロック、凄みすら感じさせるアシッド・ロックを生み出すことができたのだ。

もちろんその確信は戦略的、自覚的なものではなかっただろう。だが、ショーン・ライダーの骨はそのグルーヴがどこにも行き着かないどん詰まりだということを知っていた。どこにも行き着かないどん詰まりだからこそ、このアルバムはある種の自己完結したリリカルさとでもいったものを備えている。このおよそ高揚感のないアルバムがいまだに僕たちに強い印象を残すのだとしたら、それはこのとことんクールなリリシズムによってなのだと僕は思う。時代に魅入られながら時代を超えたアルバム。
 



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