logo ザ・コレクターズ


僕はコレクター  (1987)
僕はコレクター

★★★★
僕はなぜコレクターズが好きなのか。その答えはすべてこのアルバムに詰まっていると言っていい。もちろんそれはモッズ直系(当時はネオGSとか呼ばれていたが)の小気味よいギターのカッティングのせいもあった。それでいて親しみやすくポップなソングライティングのせいもあっただろう。しかし何より僕を引きつけたのは、加藤ひさしの、世の中への怨念、恨みつらみに歪み、ひねくれ、ねじくれて屈折した自意識、美意識であった。巨体を揺らし、本来の声域以上の声を張り上げるようとするこの男の業の深さであった。

バンド名の由来になった映画「コレクター」はテレンス・スタンプ演じる青年が宝くじを当てて勤めを辞め、以前から慕っていた女性を城に監禁して調教しようとする一種のカルト・ムービーである。少なくともこの頃の加藤ひさしにはそうした非社会的なモメント、サラリーマン的な社会への強い嫌悪や適応への拒絶があり、そうした過剰性がコレクターズというバンドの大きな動因になっていた。そして僕が大学生から就職して社会人になる時期に彼らのCDをむさぼるように聴いたのも、まさにそうした過剰性の故だったのだ。

「きらいな事いつまでも続けていたって 決して好きにはならないよ」なんていうラインを頭の中でリピートしながら通勤電車に揺られていた僕は、中途半端な自分の中の苛立ちやきしみのようなものを彼らの音楽の中に投影していたのだ。ロックが過剰と欠損、不整合の物語なら、このデビュー・アルバムは彼らのどのアルバムよりロック的だと言っていい。そして、そうした過剰や欠損、不整合が、独善的なパンクなどでなく、これだけポップで分かりやすい「歌」に結実したことが加藤の才能であるということなのだろう。


虹色サーカス団  (1988)
虹色サーカス団

★★★★☆
デビュー作がザ・フーやザ・ジャムからの直接の影響を受けたビート・ポップスだったのに比べると、セカンド・アルバムである本作ではサイケデリックな色合いが強くなっており、同時期に発表されたXTCの変名プロジェクト、デュークス・オブ・ストラトスフィアのアルバムとの相似性を感じさせる。また、「カーニバルがやって来る」といった曲のテーマや「10月のたそがれた海」といった曲名には、SF幻想文学作家であるレイ・ブラッドベリの影響も色濃く伺える。加藤ひさしの趣味性がさらに開花した作品だと言えよう。

みんなが当たり前だと思っている社会に上手くなじむことのできない自分と、そんな自分に対するアンビバレントな自意識というテーマはここでも維持されているが、作品はより物語的、寓話的に語られるようになり、音楽的にもよりポップに作りこまれるようになっている。加藤ひさしが宿命的に抱えた世界への違和感、歪んだルサンチマンは変わりようも解決のしようもないが、それが「虹色サーカス団」や「魔法のランプ」、「青と黄色のピエロ」といった道具立てを得ることで、より立体的にリスナーに届くようになった。

敢えて60〜70年代的に仕立てたサウンド・プロダクションや懐古調のアートワークからは中期ビートルズやその時代のサイケデリック・ロックへの深い造詣と愛情が感じられるが、ここで語られる物語自体は紛れもなく加藤ひさしのオリジナルだ。夜の間に大きくなる幻想や妄想、自分がどこにも属していないという寄る辺のない感覚、自分一人世界から浮き上がっているような頼りなさ、心細さと世界への敵意、膨れ上がった自意識を、加藤はどんな精密な論文よりも的確に物語の中で示すことに成功し、それが僕を打ったのだ。


ぼくを苦悩させるさまざまな怪物たち  (1989)
ぼくを苦悩させるさまざま怪物たち

★★★★☆
このアルバムでは前作の幻想的で寓話的な世界から再び現代的で等身大の世界に視点が転回しているように思われる。鳴らされる音はより直接で力強いフォー・ピースのロックが中心になり、僕たちが日常の中で遭遇し、打ちのめされるリアルな世界、つまり「ぼくを悩ませるさまざまな怪物たち」のことがそのまま歌われているのだ。冒頭の「まぼろしのパレード」や60年代イギリスのテレビ・シリーズ「プリズナーNo.6」を下敷きにした「ぼくはプリズナー345号」がこの世界への強烈な違和感を明確に示している。

音楽的にはキーボードを効果的に挿入したストレートなギター・サウンドであり、ファーストに比べてもグッと奥行きのある音に仕上がっている。ソングライティングもシンプルでありながらこれ以上ないくらいポップでキャッチーな名曲揃いである。加藤ひさしという人は、そのいびつに歪んだ世界観を先鋭化させればさせるほど、それをポップな「歌」としてまとめ上げずにいられない業を背負っているのであり、分かりやすいポップ・ソングの背景にルサンチマンを忍ばせることでこそ彼の復讐は果たされるのだ。

アルバム・タイトルを冠した「ぼくを苦悩させるさまざまな怪物たちのオペラ」は4つの曲を一つにまとめ上げたロック・オペラであり、10分以上に渡る大作であるが、ここには「トミー」や「四重人格」の頃のザ・フーの影響が確実に見られる。ロック・オペラという試みがどこまで消化されているかは別としても、この時期の加藤の創作意欲が充実していたことを感じさせる作品に仕上がっている。また、ライブでリグレイのガムが舞うテーマソング「CHEWING GUM」もこのアルバムに収録。就職した直後に聴きまくった名盤。


幻想王国のコレクターズ  (1990)
幻想王国のコレクターズ

★★★★
世界に対する違和感、オートマチックな社会への嫌悪、夜の間に肥大する自意識といった、加藤ひさしの表現への初期衝動は相変わらず通奏低音としてアルバムを貫いているものの、楽曲はよりポップに、キャッチーになり、部分的には「サージェント・ペパーズ」すら想起させる彩り豊かな仕上がりとなった4枚目のアルバム。ジャケット・イラストには奥平イラを起用、初回盤は箱入りパッケージで、このアルバムに賭ける彼らの自信が感じられる。過去のイディオムに依拠しない、開かれたアルバムになったと言っていい。

ストリングスを大胆に導入した「地球の小さなギア」、50年代ふうの「…30…」、センチメンタルなバラードの「チョークでしるされた手紙」など曲想の幅も広がり、次作の小西康陽プロデュースを予感させる「S・P・Y」のようにブラスをフィーチャーしたポップ・ソングも収録されている。しかし、こうしたバラエティに富んだ曲を15曲も収めながら、アルバムとして統一性を失っていないのは、エンジニアの飯尾芳史による特徴あるミキシングに負うところが大きい。特に小気味よいスネアの音色はこの人独特のものだ。

この頃からコレクターズは「ブレイク寸前」と呼ばれ始めたように思うが、確かにこのアルバムでの彼らはデビューから順調に続いたドライブの一つの頂点にあったと言えよう。だが、この作品での出来上がり感は同時に一つの行き詰まりでもあったのかもしれない。さまざまな意匠の曲をコレクターズ印で一つにまとめ上げる実力は新人バンドとしては驚くべきものだが、それは同時にこのバンドをある種の箱庭的な予定調和に導くリスクをも孕んでいたのだ。彼らの実力とその限界を同時に示したアルバムだが、曲は粒揃い。


COLLECTOR NUMBER.5  (1991)
COLLECTORS NUMBER.5

★★★☆
ドラムとベースをメンバーチェンジ、レコード会社もテイチクからコロンビアに移籍して発表した第5作。プロデュースはレーベル・メイトとなったピチカート・ファイヴの小西康陽。コレクターズとピチカート・ファイヴはミスマッチのように思うかもしれないが、ファーストからアレンジは「もう一人のピチカート・ファイヴ」高浪敬太郎が手がけていたし、一時期ピチカート・ファイヴに在籍した田島貴男はオリジナル・ラヴでコレクターズと同じネオGSのコンピレーションに参加したりもしていた。伏線はあったのだ。

このアルバムでも加藤のポップな曲作りは健在である。シングル・カットされた「SEE-SAW」や「暗闇の男」、「ハレツするボク」などの典型的なビート・ポップスはもちろん、広川太一郎のナレーションをフィーチャーした「ゴルフはいかが?」や語りの「二人」、泣きの入ったバラード「あてのない船」、マンチェスターふうの「太陽幻夢」など、曲想はバラエティに富んでおり、全部で14曲収録、1時間を超える長尺ではあってもリスナーを飽きさせずに最後までドライブして行くソングライティングはさすがだと言える。

しかし、このアルバムではザ・コレクターズにとって最も大切なものが足りないような気がする。それはひとことで言ってしまえば直接性だ。どんな理論も計算も指し示すことのできない生の本質に、たった一つのギターのストロークだけで、たった一つの言葉にならないシャウトだけでまっすぐにたどり着くことのできるロックの特権性がこのアルバムには欠けている。それはおそらく小西康陽のプロデュースによるところも大きいのかもしれない。新しいスタートを切ったはずが、結局は縮小均衡に陥ってしまった作品。


UFO CLUV  (1993)
UFO CLUV

★★★★
プロデューサーにサロン・ミュージックの吉田仁を迎えて製作した6枚目のアルバム。彼らにとっては確実に一つの転機となった作品だろう。ネオGSとかモッズとか、ザ・ジャムとかザ・フーとか、キンクスとかスモール・フェイセズとか、とにかく何らかの前置きとか文脈とかにおいて語られることが当たり前になっていたザ・コレクターズが、そんなストーリーに依存することなく、バンドそれ自体の力、曲そのものの説得力だけを武器に、ひたすらその表現の密度を上げることで中央突破を図ろうとしたアルバムである。

その目的は相当のところまで達せられたと言えよう。特に「愛ある世界」、「Monday」そしてスマッシュ・ヒットとなった「世界を止めて」などはグルーヴィなリズムと加藤ひさし渾身のリリック、メロディで、まさに曲それ自体がどんな背景情報や前提にも寄りかかることなく聴き手をドライブして行く名曲であり、アレンジ、プロデュースも一体となって、ザ・コレクターズの「次のフェイズ」を見せてくれる。リズム隊の腰の強さも特筆するべきであり、メンバー・チェンジして加藤がやりたかったのはこれだと実感できる。

しかし、このアルバムのいちばんの問題点は、これら3曲とそれ以外の曲とのばらつきがあまりに大きいことだ。古市コータローが初めてボーカルを取った「Dog Race」を含め、これら以外の曲の強度は残念ながらこの3曲からは大きく見劣りするし、それがアルバム全体をとても間延びしたものにしている。「世界を止めて」レベルの曲を10曲揃えるのは実際には難しいのかもしれないし、仮にできてもすごく暑苦しいアルバムになったかもしれないが、やはり残念である。まあ、この3曲だけでも3,000円の価値はあるのだが。


CANDYMAN  (1994)
CANDYMAN

★★★☆
前作に続いて吉田仁をプロデューサーに起用、パワー・ポップ路線を推し進めた7枚目のアルバム。モッズ的な文脈に寄りかからず、バンドとしての力、楽曲の質の高さで勝負しようとする正面突破戦略はこのアルバムでも健在だ。確かにこのアルバムでも冒頭に置かれたタイトル・ソング「キャンディマン」、シングルとなった「MOON LOVE CHILD」、ソウルフルな「真夜中の太陽」、ベースの小里誠が初めて作曲した「レイニーデイマン」、ポップな「恋をしようよ」など、収録曲はどれもコンパクトにまとまっている。

しかし、同時にこのアルバムはコレクターズが前作以降抱えこむことになった宿命的な問題の所在をも示している。それは、シンプルな4ピースのロックンロール、ビート・ポップス、あるいはモッズ、60年代から70年代のブリティッシュ・ポップという「出自」に一応のケリをつけた彼らが、そこでバンドのアイデンティティとして提示するべきものは何かということである。良質でポップな曲を書き、手堅い演奏で聴かせるブレイク寸前の中堅バンドは他にいくらもいる。それがザ・コレクターズである必要はどこにもない。

このアルバムを聴くと、ティーンエイジフッドにおける世界への違和感という大きなテーマから、バンドとしてもひとりの人間としても一段の成長を求められたとき、加藤ひさしはひとつひとつの曲の完成度を高めることでそれに答えを出そうとしたように僕には思える。そしてそれを誇示するかのように歌詞カードにはコードが付記されるようになった。しかしそれは同時にコレクターズにとって最も大切なモメントであったはずの直接性を複雑なコード進行や計算されたアレンジの背後に隠してしまう結果にもなったのだ。


Free  (1995)
Free

★★★
引き続き吉田仁をプロデューサーに迎え、ロンドンで制作された8枚目のアルバム。「世界を止めて」型のパワー・ポップで押しまくる展開で、ひとつひとつの楽曲はますますガチガチに構築され、ある意味メタリック(ヘヴィ・メタルじゃなくて)にすら聞こえる作りこみ度の高さを誇る作品だと思う。もちろん歌詞カードはコードネーム付で、どうだ、こんなテンション使ってるぞ、とか、このコード進行はちょっとすごいだろ、とか、いちいち加藤ひさしがあの口調で語りかけてくるような暑苦しさが微笑ましいアルバム。

だが、このアルバムでは肝心のソングライティングが弱い。冒頭の2曲、「Dreamin'」と「Good-bye」、それからマイナーのスロー・ソングである「ファニー・ストレンジ・タウン」、小里誠作曲の「ゴースト」が辛うじて水準をクリアしているものの、それ以外の曲はどれもスタンダードとしてライブで歌い継がれるには未成熟。そのためいくら分厚い音圧のアレンジをしても、異様に重量感のあるリズム隊の演奏の上にコータローのヘヴィなリフを重ねても、それを支えるべき曲そのものの骨組みが弱すぎる印象を受ける。

そして何よりつらいのは、このアルバムでもザ・コレクターズは何者なのか、結局のところ何を歌いたいのか、何を聴かせたいのかという肝心の問いに答えが見出せないことだ。初期のアルバムでは明確だったバンドの存在意義が、キャリアを重ね、バンドとしての成長、成熟を模索する中で、タフになり筋肉質になった身体と引き換えに見失われてしまったのではないかと思ってしまう。もちろん加藤ひさしが抱えた異形のルサンチマンが雲散霧消した訳ではないはずだが、その在処が本人にも見えなくなっていたのでは。


MIGHTY BLOW (1996)
MIGHTY BLOW

★★★★
プロデュースに伊藤銀次を迎えた9枚目のオリジナル・アルバム。前作までの大作主義、重厚長大主義から再びシンプルなロックンロール、コータローのギターの「鳴り」をアレンジの中心に据え、短めのポップ・ソングでアルバムをドライブして行くという作りになっている。特にアナログ・アルバムでいえばA面に当たる「クルーソー」から「LOVE SICK!」までの流れは、吉田仁のプロデュース作品ではガッチリと構築された曲構成、サウンド・プロダクションの背後に隠れていた直接性を再び取り戻していると言っていい。

このアルバムでも歌詞カードにはコード・ネームが付記されているが、それを見てみると特に「A面」の曲にはテンションや分数コードがほとんど使われていないことが分かる。加藤ひさしのソング・ライティングは、華麗なコード・ワークを駆使するというよりも、単純なメジャーやマイナーのコードの響きの中にどれだけ僕たちの心のどこかにフックするメロディを乗せることができるか、それをプリミティブなロックンロールに乗せて直接届けられるかというところに特質があるのだということがこのアルバムでは分かる。

それを的確に看破した伊藤銀次の本作でのプロデュース、アレンジは高く評価されてしかるべきである。だが、そのアレンジを支えるのは結局のところひとつひとつの曲の力、メロディに他ならない。その意味ではアルバム後半、「The Game of Life」、「スペース・エイリアン」、「恋はLet's Go」といった曲の完成度が見劣りするのは残念だ。「愛の種」と「カラス」で救われているものの、後半の失速感のせいで、初期の作品を自ら模倣しているかのようなもどかしさが残ってしまった。それだけがもったいない作品だ。


HERE TODAY (1997)
HERE TODAY

★★★
コロンビアへの移籍後初めてとなるセルフ・プロデュースによる10枚めのオリジナル・アルバム。伊藤銀次のプロデュースでコンパクトなロックンロールを鳴らした前作を継承しつつも、冒頭にストリングスによる「OVERTURE」を置き、2曲目とラストにストリングスを導入して6分を超す「嘆きのロミオ」と「20世紀が終わっても」を配置して、ポップ・アルバムとしてのトータルな仕上がりにも意識している。もっとも全体としてガチガチに構築したイメージはなく、より自由に組み上げられた彼らなりのポップが聴ける。

しかしこのアルバムでは「TOUGH」と「TEENAGE FRANKENSTEIN」という肝心のロックンロール・チューンが全体を牽引する役割を果たしきれていない。「TOUGH」では「好きなこと 好きなだけ 好きならずっと好きにやれ」と歌われるが、それはかつて「きらいな事いつまでも続けていたって 決して好きにはならないよ」と歌った世界への歪んだルサンチマンからは遠く離れた、ありふれた青春応援歌にしか聞こえない。「二度と戻らない 夏の真ん中さ」という認識は、大人の目から見た懐旧以外の何者でもないだろう。

「TEENAGE〜」、「真実はかくせない」、「ELEPHANT RIDE」といった曲のメロディ・ラインは生硬で、このアルバムの中では何とか聴くに値する「GIULIETTA」でさえアレンジのアイデアは「TOUGH」と同様にありきたりで凡庸だ。セルフ・プロデュースとなったせいか、アルバム全体に焦点の絞りきれない散漫さがあり、加藤も自分の中の何を訴えかけたいのか対象化できていない印象を受ける。ラスト前に置かれ、中域を強調した特殊なミックスの奥からひっそり歌いかける「GIFT」が実際のところこのアルバムの成果だ。


BEAT SYMPHONIC (1999)
BEAT SYMPHONIC

★★★☆
前作に続きセルフ・プロデュースとなった第11作。冒頭に5分以上に及ぶ「World -theme from teenage gangsters-」が置かれ、重厚長大路線への復帰かと暗い気持ちにさせるが、聴き始めてみるとアルバム全体の展開を示唆するポップな仕上がりで決して重くない。そこから「百億のキッスと千億の誓い」、「Brand☆New☆Heaven」とつながって行く流れで一気にリスナーをコレクターズ・ワールドに引きずり込み、「夜の向こう側」で聴かせる構成もうまくはまって、アルバムとしてのバランスは悪くない。

中盤にはシングル「Cash & Model Gun」を配し、単調になりがちなコータローのボーカルも「SNOWMAN」では曲の良さに救われている。モータウン・ビートの「Stay Cool! Stay Hip! Stay Young!」はその意図通り景気のいいビート・ポップに仕上がった。フリー・スタイルのポップ・アルバムだが、ひとつひとつの楽曲がきちんとしたメロディを持っており、それぞれに明快な表情をしていることがアルバム全体としてのメリハリにつながったのだと思う。60分の大作だがそれを意識することなく聴くことができる。

また、このアルバムで特筆すべきなのはピアノのバッキングで加藤が歌う「Quiet Happy...」だろう。加藤らしいドラマティックなメロディを切々と歌い上げるこの曲は、確実にひとつのハイライトになっている。サビの節回しのカタルシスは、加藤のソングライティングの特徴がよく表れたものだと言っていいだろう。コレクターズとしてはオーソドックスな曲ばかりだが、変にひねったり凝ったりすることなく、素直にビート・ポップの基本から作り起こしたアルバム。代表作という訳には行かないが佳作なのは間違いない。


SUPERSONIC SUNRISE (2001)
SUPERSONIC SUNRISE

★★★☆
95年の「Free」以来6年ぶりに吉田仁をプロデューサーに起用。収録曲数は10曲に抑えられ、比較的コンパクトに構成されている。吉田仁特有の、行儀よくプロセスされたようなギターの音色は相変わらずだが、このアルバムでは音のワイドレンジが広がり風通しがグッとよくなった印象がある。「UFO CLUV」から「Free」に至る吉田仁プロデュースに見られた構築主義、重厚長大指向は影をひそめ、それぞれの曲に合わせた抜けのよいアレンジでアルバム1枚を一気に聴かせるだけのリズムを作り出している。

曲そのものも端整に作りこまれており、特に「PUPPET MASTER」は「虹色サーカス団」の頃を思わせる出色の出来。GSふうに聴かせる「恋のしわざ」やファーストを彷彿させる「MILLION CROSSROADS ROCK」なども丁寧に作られている。しかし、これは前作にも言えることだが、ザ・コレクターズと聞くだけでワクワクしてしまうような、曲そのものに内在するチャームが足りない。例えば「夢見る君と僕」や「TOO MUCH ROMANTIC!」にあったような、いかにも痛いところを突く節回しのあざとさがないのだ。

ただの音符の並びがコータローのギターと前のめりのビートに乗せて加藤のボーカルで歌われた瞬間、そこに有機的なマジックが起こって僕たちの胸の出っ張ったところや引っ込んだところにぴったり寄り添うような、直線的でありながらとてもロマンチックに僕たちの逡巡や躊躇にもきちんと答えてくれるような、そんな甘さや酸っぱさがこのアルバムには足りないように思う。そのために、よくできたはずの曲の印象がどうしても平板なものになってしまう。よくできている。でも最後の何かが足りない。


GLITTER TUNE (2002)
GLITTER TUNE

★★★☆
前作に続いて吉田仁がプロデュースした第13作。インスト2曲を含む12曲収録で、最後の「PUNK OF HEARTS」はボーナス・トラックとクレジットされている。インストを除けば大半の曲が5分以上もしくはそれに近いサイズで、コンパクトなロックンロールというよりは重量級のパワー・ポップというイメージ。「POWER OF LOVE」や「CRAZY LOVE FOR YOU」、「虚っぽの世界」などいくつかのよくできたポップ・ソングを収録しており、全体としては手堅くかっちりとまとまったアルバムという印象を受ける。

しかし、このアルバムでは曲によって出来にばらつきがあり、いくつかの曲ではメロディラインやアレンジが単調に流れてしまっている。何より既にこの時点で40歳を超えている加藤がいったいどんな曲を歌うのか、どうやって僕たちにリアルな景色を見せてくれるのかということに対する明快な答えが示されない。初期の頃のようなティーンエイジフッドのルサンチマンを白目をむきながら歌い続けることが、趣味の悪い自分自身のパロディに陥らないよう、そこにはいったいどんな付加価値があり得るのか。

もちろんそれは加藤自身が抱えた宿命的な歪みとかいびつさに他ならない。40過ぎにもなってモッズだの何だのと言いながらこんなロックをやっていることのリアリティは、どこまで行ってもそれしかない、それしかできないのだという加藤自身の切羽詰まり方の中にこそあるのだし、ザ・コレクターズは加藤のそうしたいびつな自意識なしには存在し得ないバンドだ。その意味でこのアルバムはまだまだそうした性癖の「さらけ出し」が足りない。佳作ではあってもどこか思い切りが悪く、煮え切らない作品。


夜明けと未来と未来のカタチ (2005)
夜明けと未来と未来のカタチ

(「2005年1・2月の買い物」参照)



Copyright Reserved
2005-2006 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com