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僕が何のきっかけでスピッツを聴き始めたのかもはやよく覚えてないのだが、とにかく1992年1月にドイツへ渡るときスーツケースに押しこんだ数少ない邦楽のCDの中にこのアルバムと「名前をつけてやる」が入っていたのは確かなことだ。ポータブルCDプレイヤーに現地で買った粗末な卓上スピーカーをつなぎ、語学学校の寮で草野マサムネのひび割れた声を繰り返し聴いていた。僕はまだ20代の半ばで、1年間に渡ってそんな不自由な生活を送っていたのだ。草野の奇妙な言葉遣いはそのようにして僕に刷り込まれていった。
91年当時、スピッツは時ならぬ「バンド・ブーム」から出たビートパンク・バンドのひとつだと考えられていたと思う。今日に通じるメロディの美しさはもちろんこのアルバムにもその原型を見ることができるけれども、ここではアレンジはシンプルでギターの鳴りが前面に出ており、また草野独特の言語感覚による歌詞もかなり難解で、要するに今よりずっと取っつきにくいヘンなバンドだった訳である。その草野の言語感覚を「文学的」と形容することの是非はともかくとして、文学的な歌詞を歌うビートパンクだった訳だ。
だが、異国で不安と好奇心が入り混じったテンションの高い生活を送っていた僕の境遇にこのバンドがフックしたのは、まさにその取っつきにくさの故であり、奇妙な歌詞が喚起するイメージが僕の原風景とどこかで共振したからだろうと思う。文学的だというのは歌詞の言葉遣いがヘンだという意味ではない。日常とは違う言い回しによって意味性の周縁から周縁へと張り巡らされた細い糸が、言葉の中心的な意味を更新してそこに新しい言語風景を喚起することが文学的ということであり、これはその萌芽を秘めたアルバムだ。
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