logo チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド


■チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド
■東浩紀:編
■2013年7月
■ゲンロン

これは難しい本である。書かれていることは難しくないし、論評だけでなく、写真、図版、インタビュー、ルポルタージュなどを組み合わせてチェルノブイリの現在をパッケージする方法論は、むしろ過剰に分かりやすいと言ってもいいくらいである。この本が難しいのは、僕たちがあの福島第一原子力発電所の事故にどう向かい合うのか、そろそろ真面目に考えた方がいいんじゃないかという当たり前の問題意識を否応なく突きつけてくるからである。

人は日常のスケールを超えた巨大で圧倒的なものに遭遇したとき、思考停止に陥りがちである。「大きさ」はそれ自体ひとつの暴力であり、冷静にものを考えようとする力を僕たちから奪ってしまうのだ。それは、この本の、石棺で覆われたチェルノブイリ四号炉や、それを更に覆うために建設中の「新石棺」の写真を見ても何となく理解できる。あまりに巨大なものを目の当たりにすると、僕たちは無力感に苛まれてしまう。

福島第一原発の事故もまた、その被害のあまりに途方もない甚大さで僕たちの思考力を奪い取ろうとしている。原子力発電所が爆発し、半径何十キロ以内は避難を余儀なくされて、放射線に汚染された大量の水が毎日垂れ流されているというSF映画顔負けの未曾有の惨事である。何がよくなかったのか、何をやればいいのか、そもそも何を目指せばいいのか、そういう具体的なひとつひとつの問いは、圧倒的で暴力的な現実の前にたやすく意味を見失いそうだ。

そのようなとき、僕たちはしばしば極論に走ってしまう。原発のすべてを否定したり、逆に過度の現実肯定から虚無主義に陥ったりする。巷にあふれる原発関連の議論を、真実に近いものと荒唐無稽なもの、有用なものと無意味なもの、実現可能なものと夢物語に過ぎないものなど、個別的な腑分けをすることは絶対に必要だが、その個別的具体的な営為を引き受ける知的体力(知力ではなく)がない者は、全否定や全肯定へと流れ着くしかないのだろう。

この本は、そうした全否定や全肯定から一歩踏み出し、今、福島第一原発がどうなっているのか、何が問題なのか、その問題はどのようにして超克され得るのかを、気の遠くなるような個別の議論を通してひとつひとつ点検して行くための、重要な先行テキストである。原発事故としては「先輩」であるチェルノブイリが、事故から27年経った今どうなっているのかを知ることは、福島で何が可能なのかを考えるための大きなヒントだ。

そこにおける本書の切口はタイトルにもある通り「ダークツーリズム」。もともと歴史上の悲劇の舞台となった場所を訪れる観光のあり方で、広島の原爆ドームやアウシュビッツの強制収容所など、以前からそういう観光の対象になってきた場所もある。要は原発事故の現場に観光として一般の人を迎えることで、事故の記憶の風化を防ぎ復興にも寄与することができるのではないかという考え方だと思う。

その当否はこの本を読めばいいが、印象的だったのは、チェルノブイリに関わる多くの人たちが、立場の違いはあっても異口同音に「観光であれ何であれここに来て現実を見てくれるのはいいことだ」と述べていること。それは、忘れ去られること、なかったことにされてしまうことへの強い警戒感、恐怖感であるように感じられる。扇情的なニュースで僕たちのメモリが次々と上書きされて行く日々の中で、何が実際に起こり得るかを自分の目で直接見ること自体に価値があるという考えには説得力がある。

もちろん、ダークツーリズムというのはひとつの試論に過ぎない。それが福島で機能するのかは分からないし、機能したとしてもそれで原発を巡るすべての問題が雲散霧消する訳でもない。乗り越えるべき問題もたくさんあるだろう。僕がこの本を読んでも今ひとつうまく腹に入らなかったのは、ダークツーリズムがまったくの興味本位、物見遊山での野次馬ツアーのようなものまでを許容するのか、それとも一定のシリアスなコミットメントを要求するのかということ。

いずれにしてもそれは福島・原発・放射線を巡る膨大な議論のひとつに過ぎないのだが、それをここであげつらっても仕方ない。そうしたひとつひとつの議論を積み上げた結果としてしか復興はあり得ないのもまた真理だからだ。そして、その議論の入口として、この本はチェルノブイリにおけるダークツーリズムをさまざまな角度から検証しており示唆に富んでいる。

福島第一原発の事故以降、原発について考えるたびに特にうんざりするのが、「それ見たことか、だからオレは原発は危ないと言ったのだ」と、まるで事故が起きたことを喜んでいるようにすら見える「活動家」たちの口を尖らせた「主張」であり、原発という言葉を口にするだけで被曝でもするかのような有無を言わせぬ「折伏」だった。「食品の安全性が」「子供の被曝が」と脅迫めいた言辞を弄する自称平和主義者であり、自分が享受してきた便益に対する主体的な責任を簡単に忘れ誰かの責任を指弾することに長けた自称市民だった。

そんな原発に関わる神学論争にも似た原理主義的議論、全否定対全肯定の怪獣大戦争みたいな不毛な「どつき合い」から脱け出し、困難で煩雑で曖昧で地味だが、避けて通ることのできない個別議論の森へと出かけるために、全否定の人も全肯定の人も手に取るべき本だと思う。この本はチェルノブイリにおけるダークツーリズムのガイドブックであると同時に、そうした思想的脱出、思想的お出かけのためのガイドブックでもあるということなのだろう。



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