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ずいきの涙 BO GUMBOS 1995.5.21 Epic Sony / ESCB-1594 ■作詞・作曲・編曲: BO GUMBOS |
●ダイナマイトに火をつけろ ●泥んこ道を二人 ●トンネル抜けて ●魚ごっこ ●夢の中 ●ポケットの中 ●夜のドライヴ ●絶体絶命 ●あこがれの地へ ●もしもし!OK!! ●助けて!フラワーマン ●見返り不美人 |
初めてボ・ガンボスのライブを見たときのことは一生忘れないだろう。それはまだ彼らがエピック・ソニーと契約してメジャー・デビューを果たす前、おそらくは88年前後のいつか、京都の磔磔という恐ろしく個性的なライブ・ハウスでのことだった。2階にある楽屋から下りてきて客をかき分けながら舞台に昇った彼らが最初に演奏を始めた「泥んこ道を二人」そして「誰もいない」。僕はまるで感動のような何かが自分の内側からわき起こるのを止められなかった。「これや、これなんや」と。
モータウン、アトランティック、スタックス、そうした古いR&Bのドアの前に立ち、恐る恐る隙間から中をうかがっていた当時の僕にとって、彼らのベース・ライン、彼らのリズムはまったく衝撃だった。僕は結局そのドアから奥に踏み入れることなく別のドアを開けた訳だが、そうしたR&Bの直接性・肉体性をベースに、キース・リチャーズの攻撃性を導入し、その他のルーツ・ミュージックの豊かさをその名の通りごった煮にした彼らの音は、他のバンドには求めようもない根源的な力に満ちていた。
僕は彼らが京都に来るたびにライブに足を運んだ。音楽的な要であるKYONがピアノ、アコーデオン、ギターと八面六臂の活躍でとても4ピースとは思えない音楽の幅を作り出す。ライブでは時としてそのまま巨大な乱交パーティーに発展してもおかしくないと思えるくらいのアナーキーで楽観的な解放と祝祭の空間が形作られていた。まだレコードが1枚も発売されていないのに、どの客もどんとと一緒に歌っていた。もちろん僕も歌った。
しかし、僕たちが待ち望んだ彼らのメジャー・デビュー作品は、ひとことで言ってひどい代物だった。先行シングル「時代を変える旅に出よう」でイヤな予感はしていたが、デビュー・アルバム「BO & GUMBO」を聴いた僕は本当にがっかりした。そこに収められた曲の大半は彼らがデビュー前から歌い続けてきたものだったが、スタジオ録音ではそれらの曲がライブで持っていたマジックのようなものはあらかた失われ、それらはまるで抜け殻、関西弁で言えばまるで「カス」でしかなかったからだ。
ボ・ガンボスがライブで確かに手にしていたはずのあのグルーブ、あの力、あのスピード、あのマジック、それらはみんなどこに消えてしまったのか。それはやはり彼らのライブの本質が祝祭、日常からの解放にあり、そうした祝祭・解放の特質は再現不可能な一回性にこそあったからだと思う。彼らはライブの積み重ねの中からそれらをつかんできたのだったが、そこにおいてその現場性というモメントは不可欠な本質であり、それをスタジオでテープに定着しようとした瞬間にその本来的なみずみずしさは失われる運命にあったのだということなのだ。
結局、ボ・ガンボスはそうして抱えこんだレコーディング・アーティストとしての自己矛盾を解決できないまま、中心人物であるどんとの脱退によって終わりを迎えた。ここでレビュー盤として取り上げる作品がベスト・ライブ集であり、しかもそこに収録された作品のほとんど全部がデビュー前のライブで既に歌われていたものだということが、彼らの行き当たっていた壁の存在を際立たせているのではないだろうか。
僕はもちろんボ・ガンボスが好きだ。だからこそ、彼らの良さの本質がうまく理解されないまま必ずしも幸福でない終わりを迎えたことは本当に残念なことだったと思う。しかし、ボ・ガンボスというバンドの最大の持ち味が、スタジオ録音によるCDというメディアと本質的に相容れない性質を持つものであった以上、そこにライブCDのインディペンデントからの発売などの一定のあがきはあったものの、いずれレコーディング・アーティストとして破綻することは不可避であったとも言えるのかもしれない。
初めてボ・ガンボスのライブを見たときのことは一生忘れないだろう。
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